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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (祈祷の地としての南溜池)

また「国日記」同年六月十七日条によれば、このたびの雨乞いは、領内の田畑のみならず、「弘前町中」の井戸が,たちが難渋しており「神明宮」の神主に依頼して、南溜池で神楽を奏し、灯籠(とうろう)を出してうちそろって雨乞,いをしたいという希望を、町年寄が藩庁に出した。,結局は、「神明宮」の神楽は同宮にて行い、「神明獅子舞」と太鼓をはやし、灯籠を多数出して雨乞いを行いたいとする,平山日記」享保十年の条によれば、同年七月七日の夜に雨が降ったとあるので、六月十九日以降の「国日記」に雨乞
通史編3(近世2) (大石明神)

大石明神 大石明神(現大石神社)は、丈余(約三メートル)の併立する巨石を神体とし、雨乞い・子授け・安産
通史編3(近世2) (二十三夜待)

このほか、農家では真言を唱えながら、害虫を追う虫送りをしているが、雨乞いは藩が寺社に命じて行わせた(資料近世
通史編3(近世2) (神明宮)

「国日記」によると雨乞い・日和揚・五穀成就の祈祷を主な役務としていた。
通史編3(近世2) (大行院)

享保十年(一七二五)の干ばつでは南溜池に祭壇を設け、雨乞いの祈祷を行ったところ、多くの人々の見物があった
通史編1(古代・中世) (平安時代の律令祭祀)

また、古代史上でも議論の多い、いわゆる殺牛馬信仰は、雨乞いなどの農耕儀礼にかかわるものとする説と、怨霊,竪穴住居跡からも出土していることを考え合わせると、平安時代には骨や歯には呪物としての観念が存在しており、雨乞,いや日乞いなど、当時の人々によって超自然と判断された事象全般にわたって用いられたと推定される。
通史編4(近・現代1) (「農事調査」と中津軽郡)

農産物の剰余はなく、米、大豆、小豆、藍、煙草のどれもが不足しており、人々は虫送り、雨乞いの行事などに参集
通史編1(古代・中世) (津軽地方の古代信仰)

県東側地域にあっては、馬が極めて重要な交易の対象であったという状況から考えると、全国的に展開する農耕儀礼や雨乞,いを含む用水確保のための儀礼に牛馬の骨歯を用いることが、畿内を中心とする地域と同じように、この地で一般的
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