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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (二つの雪中行軍)

二つの雪中行軍 雪中行軍は日露戦争を間近に控え、寒冷地であるロシアとの戦いに備えた作戦だった。,で遭難し、二〇〇人近い死傷者を出した八甲田雪中行軍遭難事件を意味する。,地元の大学生でさえ、雪中行軍の銅像がある附近を、日本で有数な心霊スポットとしては知っているが、雪中行軍遭難,同時期に雪中行軍を試みている。,(近年の雪中行軍に関する分析や研究史の整理と、研究成果については、中園裕「雪中行軍はなぜ有名になったのか / 二つの雪中行軍
通史編4(近・現代1) (『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)

『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記 五連隊はわずかに一泊の行軍予定の計画で二〇〇人近い死傷者を出,それがゆえに小説や映画の格好のテーマとなり、空前の雪中行軍ブームを巻き起こした。  ,そのため福島中隊長率いる三一連隊の行軍については、五連隊の雪中行軍に比較して極端に資料が少ない。,いずれにせよ東海記者が「雪中行軍記」を連載していたことが明らかになった。,続けて東海記者の「雪中行軍記」を引用しよう。 / 『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記
通史編4(近・現代1) (第八師団の実状)

雪中行軍の作戦もこうした背景に実施されたわけである。,有名な歩兵第五連隊の雪中行軍遭難事件も、寒冷地にある師団の作戦遂行上から生じた悲劇だった。,そのため歩兵第五連隊と第三一連隊は、師団設置以来たびたび雪中行軍演習を実施してきた。,『東奥日報』は両隊の出発について「他日国家一朝事あるの日、我雪国軍隊が雪中行軍に得たる幾多の経験を応用,雪中行軍遭難事件は、まさしくこの時に起こったのである。
通史編4(近・現代1) (第三一連隊の壮挙とその後)

友安旅団長と福嶋大尉  最初三十一聯隊雪中行軍隊の行軍予定は、青森より油川を経て梵珠岳を横断し、夫れより,雪中行軍の謎は、三一連隊の行軍隊の快挙が隠蔽されたことに端を発しているといってもよい。  ,らっぱ)手二等卒山上与作の二氏は何れも一等卒に昇進せらる     記念徽(き)章  歩兵第三十一聯隊雪中行軍隊,六〇周年記念行事の数年後に新田次郎の小説と映画が紹介され、雪中行軍は一躍国民的に有名となった。,雪中行軍遭難資料館が老朽化し、それを管理する八甲田山雪中行軍遭難史蹟保存会も、メンバーの高齢化と費用不足
通史編4(近・現代1) (第五連隊との遭遇)

第五連隊との遭遇 近年、三一連隊の雪中行軍に関する資料が多数発見されている。,三一連隊の行動を知る上で福島中隊長が記した『雪中行軍手記』は重要な新資料である(青森県立図書館所蔵)。,苫米地はこの事実を『八甲田山麓雪中行軍秘話』にまとめ、彼の孫である福沢善八が昭和五年(一九三〇)八月に,なお、近年この『秘話』の原本であるかもしれないとされる『明治三十五年第三十一連隊雪中行軍路案内実録』が,この事実は当時の陸軍当局がまとめた公文書の記録から判明したものである(『歩兵第五連隊雪中行軍遭難に関する
通史編5(近・現代2) (軍人遺家族の援護対策)

軍人遺家族の援護対策 八甲田雪中行軍遭難事件の際に遺家族の慰撫・慰安の結果、彼らの怒りや不満は抑えられ,古くは雪中行軍遭難事件の凍死者を政府が弔魂祭と銘打って執り行うなど、全国各地でも類似の形態が多数あった,そして戦死者は雪中行軍遭難事件の後藤伍長のように英霊となり軍神扱いされるのである。  
通史編4(近・現代1) (黒溝台の死闘)

極寒の大陸での戦闘は、雪中行軍による二〇〇人の死傷者を出した第八師団が本領を発揮する時が来たことを意味,これら重要な年中行事に、日露戦争を前後して、新たに「黒溝台会戦記念日」と、その五日前の「雪中行軍記念日,けれども弘前市民の心には、第八師団といえば、雪中行軍と黒溝台の会戦という「北の戦い」を成し遂げた「国宝師団
通史編4(近・現代1) (地域と軍隊の密接化)

この点は雪中行軍の遺家族対策と同じだった。,雪中行軍の際に見られた地域が遺家族たちをはじめ、軍人扶助対策として費用を捻出し、人員を割いて対応するという
通史編4(近・現代1) ([付図])

蔵主町)開校〈明治34年〉 23 弘前市立病院開院〈明治34年〉 24 八甲田山雪中行軍,孫文革命と山田良政・純三郎』プレジデント社(1992年)より転載 24 「青森県衛戍第五連隊第二大隊雪中行軍遭難写真
通史編4(近・現代1) (日清戦争と郷土部隊の出征)

この動きは弘前市や青森県の場合、雪中行軍遭難事件を通じて浸透し始め、日露戦争を経て確立していったと思われる,その結果は八甲田雪中行軍遭難事件で露呈されることになる。
通史編4(近・現代1) (歩兵第三一連隊の移転問題)

雪中行軍遭難事件当時の三一連隊は、青森県ないし弘前市民の将兵で構成され、五連隊は岩手県出身者が大半だった
通史編5(近・現代2) (弘前市にとっての第八師団)

有名な雪中行軍の悲劇を経験した第五連隊と第三一連隊を管下に置き、日露戦争での活躍ぶりから「国宝師団」とも
通史編4(近・現代1) ([口絵])

弘前衛戍病院 口絵26 輜重兵第八大隊営門 口絵27 兵士たち 口絵28 雪中行軍
通史編5(近・現代2) (歩兵第三一連隊移転問題)

雪中行軍のときは五連隊が岩手県民、三一連隊が青森県民で主に構成されていたが、軍縮のあおりから五二連隊が
通史編5(近・現代2) (供出と配給)

これに対して、八甲田山麓にある雪中行軍記念像は残された。
通史編5(近・現代2) (郷土部隊の出征)

戦死者と遺家族の救済は、雪中行軍遭難事件の際と同様、国民の軍や戦争に対する非難や攻撃を避けるための重要
通史編4(近・現代1) (掲載写真・図版の典拠・所蔵一覧)

』弘前市立図書館蔵 写真77 『青森県写真帖』弘前市立図書館蔵 写真78 「青森衛戍第五聯隊第二大隊雪中行軍遭難写真
通史編4(近・現代1) (新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)

270   二 第八師団の誕生 ………………………………………………  277   三 歩兵第三一連隊の雪中行軍
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