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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (市青年団の結成)

市青年団の結成 市内各小学校を単位とした市青年団の分団づくりが行われ、各分団を一つにまとめた弘前市青年団,これに対して、青年団総代として朝陽小学校分団の佐藤金蔵が答辞を述べた。,この日参加した青年団員は六八三人、団長には市長、副団長には市助役を戴くというもので、青年たちの自主的な,運営になる後の青年団とは、およそ性格を異にした官製の青年団であった。 / 市青年団の結成
通史編4(近・現代1) (私設市連合青年団)

私設市連合青年団 明治末期から大正初期にかけて、弘前市の主な町内には青年会や青年団が、続々と結成されるようになった,青森県青年団弘前支部の発会式が行われた。,青森県青年団第一回総会が開催された。,名称は総会であったが、県青年団の結成式を兼ねたものであり、これによって全県的な青年団組織が形式上成立をみることになった,この総会で益子恵之助は県青年団長に選ばれ、続いて二ヵ年その地位にあって県内の青年団体をまとめるのに貢献 / 私設市連合青年団
通史編4(近・現代1) (私設青年団の結成)

私設青年団の結成 明治年間を通して地方自治体や各種の自治的な組織も次第に整備され、市民の自治意識も高,ことに日露戦争が終わると地方改良運動が唱えられ、その一環として地方青年団の設置が奨励された。,明治四十五年(一九一二)五月、弘前で初めて町内の枠を破って、全市的な青年団の結成が見られた。,弘前実業青年団で、新寺町慈雲院を会場に発会式を挙げた。,この青年団は土手町と和徳町の有志が首唱し、全市の実業家たちに呼びかけて成った団体である。 / 私設青年団の結成
通史編4(近・現代1) (弘前市青年団分団の結成)

弘前市青年団分団の結成 四年(一九一五)九月、政府は内務・文部両省の共同訓令を発し、全国の地方自治体,を督励して、青年団の指導育成や設置基準に関する政府の方針を明らかにした。,智能ヲミガキ剛健勤勉ヨク国家ノ進運ヲ扶持スルノ精神ト素養ヲ養成ス……」  右の趣旨に沿って全国的に青年団,の設置が急がれることになったが、弘前市は大正八年(一九一九)九月、各学区ごとに青年団の分団を作ることになり,市内各学区ごとに設立をみた市青年団分団は学区の小学校長を分団長とし、その小学校の施設を利用して活動を始 / 弘前市青年団分団の結成
通史編5(近・現代2) (青少年団の動向)

青少年団の動向 時局が険しくなっていくにしたがって、全国の青年団、女子青年団、少年団に対し、統合強化,そのため、文部省は指令を与えて、昭和十六年(一九四一)一月十六日、大日本青年団、大日本女子青年団、大日本少年団連盟,参加した団体は、県単位の団体一、郡単位の団体八、市単位の団体三、町村単位の団体ほか、青年学校単位の青年団,および女子青年団四四一、国民学校単位の少年団四三〇を数え、統合された団体数は一四六八、団員数は青年団五万人余,、女子青年団四万人余、少年団一二万人余となり、計二一万人余の県内青少年は上から統制される組織体にまとめられた
通史編4(近・現代1) (県内青年の政治的自覚)

そして、それまでの単位青年団が、助役や学校長を団長とする官制的なものであったのに対し、青年団は青年団自身,大正十一年、黒石町に革新青年団が生まれた。,ロシア革命以後の時代風潮もあって、大正八、九年ごろから黒森山浄仙寺で南郡下の青年団中堅幹部の講習会が開,彼らの「自主化」は一部から青年団の赤化と言われた。大正十二年、黒石革新青年団は郡青年団から脱退した。
通史編4(近・現代1) (弘前市処女会の設立)

それは「処女会」と呼ばれたが、実質的には女子青年団というべきものであった。,結成の方式は青年団の場合と同じく、市内各小学校に分会を置き、その小学校長を分会長とし、女子教員を幹事として,弘前市処女会の設立に当たって、市長松下賢之進が会長となったのは市青年団の場合と同様であった。
通史編4(近・現代1) (青年訓練所の設置)

青年訓練所も青年団分団と同じように市内の各小学校に併設の形で開所され、小学校長は青年訓練所の主事を命ぜられた,訓練所の生徒は青年団員を兼ねるのが普通であり、したがって、青年訓練所は青年団の軍事化の性格を持つものとなった
通史編5(近・現代2) (弘前市青少年団)

ちなみに統合時の団員数は八八〇六人(青年団一〇九一、女子青年団一三七三、少年団六三四二)であった。
通史編4(近・現代1) (農業団体の発展)

さらに、船沢村青年団・高杉村強行青年団が、品評会を開催した(「各村農会開催、農作物品評会一等の受賞者」,同五年には、前記二つの青年団とともに駒越村兼平青年団も独自に品評会を開催している(『中津軽郡農会報』第七号
通史編5(近・現代2) (第二回社会教育大会)

第一日目 図書館・公民館・民主団体・青年団・婦人会・PTA  第二日目 放送教育と視聴覚教育・新学制実施,行政担当者をはじめPTA、青年団体、婦人団体など、これらの集会を通じて新しい社会教育に対する認識を深めていったのである
通史編5(近・現代2) (桜田市政と合併対策)

市町村の広報に合併促進記事を掲載させたり、公民館活動・青年団活動を活用して、学校教育の教材にも合併機運,事実、第二回開催以降は参集者が市町村当局者から青年団・婦人会などの団体役員や農協役職員、そして部落代表
通史編5(近・現代2) (戦後の佐藤正三)

となり、また、市制施行七十周年の記念事業として『弘前市史』編纂事業に着手、社会教育課長時代はPTA・青年団体
通史編5(近・現代2) ([付図])

15年頃〉 15 南塘球場内に「報国農園」設置〈昭和16年〉 16 時敏学区女子青年団
通史編5(近・現代2) (通俗教育から社会教育へ)

名称が通俗教育から社会教育に改められたものの、本市の社会教育活動は、青年団、少年団、青年訓練所、処女会
通史編5(近・現代2) (社会教育研究大会)

県社会教育委員および社会教育協会員、市町村会代表、軍政部指名者、学校長、労働組合、教師父母会、婦人団体、青年団
通史編5(近・現代2) (軍人援護政策と女性の位置づけ)

写真25 女子青年団員による勤労奉仕
通史編5(近・現代2) (経済更生運動と計画)

各町村においても町村長を委員長とする経済更生委員会が組織され、これに役場、農会、産業組合、学校、婦人会、青年団
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