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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(国土総合開発計画の進展と青森県の位置)
青函圏に直接かかわる事項としては、
青森港
の整備がある。,1 岩木川水系治水問題 2 県内道路の整備 3
青森港
の整備 4 下北の開発 5 電源,の開発と送電線の整備 また、
青森港
の整備に関しては次の問題点が指摘されている。 ,進展に依る原材料及び製品の移出入の増加 ハ 将来、貿易にたいする諸計画の実施 これらの点から、
青森港
,また、
青森港
の一万噸岸壁は、昭和三十一年(一九五六)に着工され、同三十五年(一九六〇)に完成した。
通史編4(近・現代1)
(ロシア人捕虜と弘前捕虜収容所)
ロシア人捕虜は第一三師団将兵に連れられ、七月二十三日に
青森港
に上陸した。,
青森港
に上陸した捕虜たちは、青森市内の寺院にいったん収容された後、一部は弘前の捕虜収容所に送られた。
通史編4(近・現代1)
(軍艦見学)
日本海軍の第一、第二、第三艦隊が
青森港
に入港したのを機会に、海軍になじみの薄い弘前市小学校児童に、軍艦
通史編1(自然・原始)
(台風来襲)
忘れられないのは、昭和二十九年(一九五四)九月二十六日・二十七日の洞爺(とうや)丸台風で、函館港から
青森港
通史編3(近世2)
(松前方面の攻防と青森)
七日早朝、
青森港
付近に現れた二艦のうち、蟠龍は陸奥湾を回漕して行方を転じたが、回天へは、弘前藩から安済丸船頭野村惣平,弘前藩は
青森港
の警備を一手に任されていたが、総攻撃の際、江差への出兵に自藩が除かれては「北門之御任」が
通史編3(近世2)
(帰田法の発令)
じゅうさん)村など、現北・西津軽郡の新田地域を視察するとの名目で弘前を発し、二十一日には開発が進められていた
青森港
通史編4(近・現代1)
(大正期のりんご流通)
のりんご荷積み風景(明治38年) りんご生産量が着々と伸びるなか、明治三十九年(一九〇六)、
青森港
通史編5(近・現代2)
(東北振興)
による地方税の負担軽減、金融における低金利促進、中小商工業者への資金融資、中央資本家の資金投下、八戸港・
青森港
通史編4(近・現代1)
(師団誘致運動)
黒石町は弘前市よりも
青森港
に近く、周辺地域への便もよいとして、師団設置に好都合だというのである。
通史編3(近世2)
(宮古湾海戦)
ようやく
青森港
に入港した応援の官軍艦隊は勝利を予感させる堂々たる威風であった。
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
植物防疫の点て害虫のハリトーシが問題になったが、県の要望で昭和十四年(一九三九)
青森港
が苹果輸出検査海港
通史編4(近・現代1)
(青森県における普通運動)
これに対し、同年十二月十二日の政友会支部総会の決議の第一は米価の暴落による農民救済、第二は
青森港
改築の
通史編3(近世2)
(商社の活動内容)
先端に位置し、松前と十三(じゅうさん)・鰺ヶ沢(あじがさわ)・深浦(ふかうら)等の西海岸諸港と連結し、
青森港
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