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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (青森町の成立と青森開港)

青森町の成立と青森開港 右のような歴史的な背景の中で、同藩が、外浜(そとがはま)地帯に新たな町づくりと,(本項は、『新青森市史』別編1 教育(1)第一章第一節の「青森町の成立」一九九八年 青森市刊に多くをよっている,佐藤・村井の両名が町方支配の責任者として藩から任命されたのであり、彼ら両氏は後の青森町年寄である。,これは青森町並びに同湊の発展を促進させようとの意図に基づいて出された定書であったが、改めてこのような促進策,嘉兵衛なる人物は、弘前藩が青森町を建設するに当たって、越前から呼び寄せた有力商人か、来航した商船の船主若 / 青森町の成立と青森開港
通史編2(近世1) (騒動の背景)

したがって凶作の兆候が明らかになった七月になると、青森町の町人は廻米船の出航差し止めと廻米の町中への払,米価高騰に歯止めはかからず、買受所により自由な商売も妨げられ、流通も閉塞し、飯米(はんまい)購入に頼る青森町人,一方、このころには青森町人への十分な飯米の確保も困難になっていた。
通史編2(近世1) (騒動の要求と結果)

の飢饉の被害を一層大きくしていったのは後にみるとおりだが、(三)にみられる米留番所の廃止は認められ、青森町人,さらに、町奉行は町人を慰撫(いぶ)するために極貧の者に三五〇俵の補助米を差し出し、また青森町一九六〇軒
通史編4(近・現代1) (ロシア戦への意識と第八師団の設置)

青森県は青森町(現青森市)に県庁が置かれて以来、政治の中心が青森町に移り、経済的実力も徐々に弘前市に迫
通史編4(近・現代1) (日清戦争と郷土部隊の出征)

八月十日には青森町(現青森市)で青森報国会が結成され、軍資金の献納運動が始められた。,当時、弘前市出身の兵は青森町にある歩兵第五連隊に入営していた。
通史編2(近世1) (藩士対象の司法制度)

御徒目付 村端または町端 ⑨ 町奉行 町奉行宅 ⑩ 御馬廻 深浦 ⑪ 鯵ヶ沢町奉行 鰺ヶ沢町奉行所 ⑫ 青森町奉行,青森町奉行所 ⑬ 代官 浪岡庄屋宅 ⑭ 今別町奉行 今別町奉行所 ⑮ 町年寄 町年寄宅  ①は上級藩士
通史編2(近世1) (天保四年における藩の対応)

これは前月二十八日に、青森町年寄・町名主により御蔵米(おくらまい)一〇〇〇俵払い下げの請願があったのを,同じく青森町人の請願にもかかわらず、廻米を強行して飢饉の被害を広げた天明飢饉とは対照的な対応であった。
通史編4(近・現代1) (請願建白文の審議)

笹森要蔵(鎮西学院長笹森宇一郎や国務大臣で東奥義塾塾長だった笹森順造の父)、石岡三郎、小笠原宇八(のち青森町会議員
通史編2(近世1) (青森騒動の経過)

当時の青森町の人口が七~八〇〇〇人と推定されるから、まさに惣町を挙げての運動であった。,図127.青森町奉行所  騒動勢は町奉行が訴願を受け入れない場合は弘前城下へ強訴に出るつもりだったが
通史編2(近世1) (天保飢饉と一揆・騒動)

津軽領のものとしては、天保四年八月に、廻米の中止で陸揚げされた米の払い下げをめぐって、青森町民が弘前駄送
通史編3(近世2) (居開帳)

湯口(現中津軽郡相馬村)の修験大重院は、元禄十一年(一六九八)、堂社修復のため、薬師如来の開帳を地元と青森町,一七一〇)に堂社が焼失したため、再建のための開帳が青森・鰺ヶ沢町で認められ、修験触頭大行院・寺社奉行・青森町奉行
通史編4(近・現代1) (地租改正の経過)

地価調査に用いる穀価は、津軽郡については米価と大豆価を用い、青森町、黒石町、弘前町、鰺ヶ沢町、五所川原村
通史編2(近世1) (穀物の流通統制)

その一方で、藩は十二月二十八日には御蔵米の値段を安値に放出して米価を下げようとしたり、翌二十九日には青森町
通史編2(近世1) (津軽領内のアイヌ民族)

積み出される米および酒については、青森城代ないし青森町奉行の差紙が搬出の必要条件であった。
通史編3(近世2) (藩政後期)

このような社会状況の中で、弘前城下では太平楽で人寄せをしたり、青森町では夢想で妄言をいう新しいタイプの
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

文久二年(一八六二)の青森町年寄の藩への建白では、次のように述べている。
通史編2(近世1) (糧米確保)

七月二十一日、松前藩の家老から青森町奉行を通じて六、七〇〇〇石の米の津出が求められている。
通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

御徒頭格御使番 200石 御徒頭格御付御近習番 20 浅利万之助 〃 御徒頭格 100俵外3人扶持勤料 青森町奉行格武芸締方取扱
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

同十年(一八一三)、青森町の孫助が弘前紙漉町喜平次屋敷で催した江戸相撲の札銭は一人五分、上桟敷一間四匁
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永六年(一六二九)十一月十三日、重臣乾安儔等、青森町の商売、船着等の定書を下付する。,●慶安四年(一六五一)四月十六日、重臣永山助左衛門等三名、青森町年寄佐藤・村井両名へ書状を下し、同町地子徴収
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