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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (青森銀行の誕生)

青森銀行の誕生 戦時体制に入ると、政府の銀行合併政策は、これまでの預金者保護、経営の健全化という目的,発足した青森銀行の役員は、取締役九名、監査役三名であり、その氏名は次のとおりである。,』)  青森銀行の誕生により、県下の普通銀行は青森銀行のほか、佐々木・青森商業・弘前商業銀行の四行に,ここに県下銀行における青森銀行の地位を示すと表13のようになる。,十九年六月、青森銀行は佐々木、弘前商業銀行を相次いで吸収合併し、県下の普通銀行は青森銀行と青森商業銀行 / 青森銀行の誕生
通史編5(近・現代2) (銀行合併政策)

合併政策に応ぜざるをえない事情としてあった(朝倉孝吉『新編日本金融史』日本経済評論社、一九八八年および青森銀行史編纂室,『青森銀行史』青森銀行、一九六八年)。
通史編4(近・現代1) (協力機関一覧(五十音順))

協力機関一覧(五十音順) 青森銀行(青森市) 青森銀行記念館(弘前市) 青森県 青森県議会図書室
通史編4(近・現代1) (銀行政策の展開と私立銀行の設立)

三十三年末には四三五行に激増するのである(朝倉孝吉『新編日本金融史』日本経済評論社、一九八八年および青森銀行行史編纂室,『青森銀行史』青森銀行、一九六八年)。
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行の大増資)

払込済み四六三万七五〇〇円となり、表57のように東北地方では第一位の規模を誇る銀行に成長した(前掲『青森銀行史,2,500,000 9 1,075,000 宮城商業 宮城 7 2,000,000 7 2,000,000 前掲『青森銀行史
通史編5(近・現代2) (見直したい弘前市の記録)

第二には、青森県では青森銀行とみちのく銀行が二大銀行として県内を席巻しているが、銀行の発祥地はすべて弘前,青森銀行は当初第五十九銀行だったが、その建物は現在青森銀行記念館として残っている。,青森銀行の旧津軽支店も、現在は弘前市立百石町展示館として改築され保存されている。
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行と黒石銀行・弘前銀行の合併)

黒石銀行と同じく、第五十九銀行の大増資の見込みや大蔵省の合併奨励により合併に踏み切ったと考えられる(青森銀行行史編纂室,『青森銀行史』青森銀行、一九六八年)。
通史編4(近・現代1) (第五十九国立銀行の創設)

なお、官吏は発起人になる資格がないため、大道寺繁禎は県御用掛を辞職することになった(青森銀行行史編纂室,『青森銀行史』青森銀行、一九六八年)。  ,#160;) 総 計 697 (100.0 ) 4,000 (100.0 ) 前掲『青森銀行史
通史編5(近・現代2) (金融危機の勃発)

22 2,166 青湾貯蓄 500 162 147 1,060 0 537 588 8 1,833 青森銀行行史編纂室,『青森銀行史』青森銀行、1968年より作成
通史編4(近・現代1) (県下銀行の発展と金融都市弘前)

明治三十五年末の県内会社九一社のうち銀行は三〇行で、全体の三三%を占めていた(前掲『青森銀行史』)。,1,845 同    青湾貯蓄銀行 32.12 同  浜町 50,000 12,500 18 前掲『青森銀行史,4,524,300 44年 29 19 4,535,550 45年 28 20 4,944,050 前掲『青森銀行史,(前掲『青森銀行史』)  士族銀行と称せられた第五十九国立銀行に対して、これらの私立銀行は当時台頭してきた
資料編3(近世編2) ([口絵])

餓死者供養名号塔(弘前市・専修寺) 民次郎の墓(弘前市・鬼沢集会所) 天保8年発行の宮崎札(青森銀行記念館蔵
通史編5(近・現代2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順) 青森銀行 (青森市)                 
資料編3(近世編2) (協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))

協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略) 青森銀行記念館(青森県弘前市) 青森県立郷土館
通史編3(近世2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順) 会津若松市教育委員会 青森銀行記念館(青森県弘前市
通史編4(近・現代1) (開業時の状況)

から明治期前半は、開業時の困難を乗り越え、折からの好況を背景に業況の進展を見せた時期であった(前掲『青森銀行史
通史編4(近・現代1) (洋風建築と蔵造り)

三十三年に第五十九銀行本店(現青森銀行記念館)、三十五年には弘前市立病院(明治三十四年設立。
通史編5(近・現代2) (弘前銀行と第五十九銀行の休業)

第五十九銀行に融資を求めたが交渉は不調に終わり、休業を余儀なくされた(資料近・現代2No.一八一および前掲『青森銀行史,年下期 1,866 3,128 20,485 23,614 19,655 1,919 116 前掲『青森銀行史,これらの事件がなくとも第五十九銀行は何らかの衝撃があれば破綻する危険性は十分に持っていたのである(前掲『青森銀行史
通史編5(近・現代2) (第五十九銀行の復活)

も重なり、払い戻しが超過したのはやむをえないが、一方で預け入れもあり、営業再開は一応成功した(前掲『青森銀行史
通史編5(近・現代2) (弘前無尽会社の相互銀行への転換)

このほど認可となり、十月二十日から社名を「弘前相互銀行」と改めて新発足することになつた、弘前市内には青森銀行,後略) (資料近・現代2No.四〇三)  昭和十八年、第五十九銀行を中心に県下銀行の大半が合併して青森銀行
通史編4(近・現代1) (掲載写真・図版の典拠・所蔵一覧)

独立行政法人国立公文書館蔵 写真9 『開文雑誌』弘前市立図書館蔵 写真10 弘前市立図書館蔵 写真12 青森銀行記念館蔵,26 「津軽名勝と産業」弘前市蔵 写真27 「青森県弘前市実地明細絵図」弘前市立図書館蔵 写真28 青森銀行蔵
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行の営業状況)

この建物は昭和四十七年、国から重要文化財に指定され、現在は青森銀行記念館として保存されている。
通史編5(近・現代2) (県内銀行合併の推進)

青森に合併 20年 2 2 4 普銀:青森、青森商業         貯銀:青森貯蓄、青湾貯蓄 前掲『青森銀行史
通史編4(近・現代1) (弘前における国立銀行設立計画)

を制限し、京都の第百五十三国立銀行を最後に設立許可を打ち切った(西田亮『第五十九銀行六十五年史』上、青森銀行調査部
通史編5(近・現代2) (弘前相互銀行と青和銀行の合併)

普通銀行に転換して発足した銀行で、その後、三十三年九月に青森商業銀行と合併し、県下における普通銀行は青森銀行
通史編5(近・現代2) (みちのく銀行の誕生)

ここに表39のように青森銀行と肩を並べる規模の普通銀行が誕生し、県下金融界は二大地方銀行時代を迎えるのである
通史編5(近・現代2) (県債五〇〇万円の成立)

大きな課題であった農村負債整理および自作農創設の政策にもかなうもので、一石二鳥の妙案であった(前掲『青森銀行史
通史編5(近・現代2) (棟梁・堀江佐吉)

また、明治三十五年(一九〇二)から三年をかけて第五十九銀行(現青森銀行記念館)を建築し、その意匠及び構造
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

北海道檜山郡江差町 財団法人 開陽丸青少年センター写真提供 67 作成 68 松前町郷土資料館蔵 69 弘前市 青森銀行記念館蔵
通史編5(近・現代2) (安定成長への転換)

昭和四十八年(一九七三)には、弘前商工会議所会報『商工ひろさき』の一月刊行分に、市長以下青森銀行頭取ほかの
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

93   六 昭和金融危機の勃発と打開 …………………………………  104   七 戦時金融統制と青森銀行
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