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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
馬喰町、亀甲町の一二ヵ町)と盈進学区(親方町、百石町、百石町小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、上
鞘
師
町,、下
鞘
師
町、元寺町小路、下白銀町の一一ヵ町)とに分かれていた。,竣工の式を挙げた(注、盈進小学〈校〉は十年六月百石町に創立され、十三年五月弘前大火により焼失、十五年上
鞘
師
町
通史編3(近世2)
(他領から技術を導入)
『津軽塗』(青森県無形文化財調査報告書第一集 一九七六年 青森県教育委員会刊)によれば、御
鞘
師
として貞享二年,このように、近世初期の津軽の漆工芸は、秋田の
鞘
師
、京都の塗
師
、江戸の具足
師
の移入によって興ったもので、,職人についてみると、大工六三、
鞘
師
一二、紺屋一四〇、たばこつくり三二など、約三〇種、四六〇軒ほどの居住者,がいるが、塗
師
らの住んでいる家は見当たらない。,しかし絵図には、四の郭(北の郭)に塗
師
場、作事場、普請場が描かれているので、この塗
師
場で岩崎明右衛門、
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
研屋の五人は
鞘
師
(さやし)も兼業している。,御役職人(藩に営業税を納める職人)は二八職種に分類され、この内、研屋・
鞘
師
・塗
師
・経
師
(きょうじ)・筆
師
,9 内 御用
鞘
師
2軒 塗
師
14 内 御用塗
師
4軒 経
師
5 内 御用経
師
1軒 大工 115 木履大工,御役職人は一九職種に減り、藩の御用を勤めるのは、研屋・
鞘
師
・塗
師
・金具
師
の四種は寛政期と変わらないが、,11 内 御用3軒
鞘
師
4 内 御用1軒 塗
師
11 内 御用3軒 経
師
3 左官 7 大工 67
通史編2(近世1)
(諸役と運上)
(一六四九)の「弘前古御絵図」によると、城下の家業は、鍛冶九一、銅屋二一、大工三九、馬屋と博労一八、
鞘
師
一一,、鷹
師
二九、紺屋一二九、そして、居鯖五一、煙草屋五四、煙草作二三があり、このほかにもさまざまな家業があった,このほかにも、塗
師
(ぬし)・鍛冶・桶屋・畳屋などの職人に対する役銀も、多くは同年に定められた。 ,研
師
、
鞘
師
、塗
師
などには藩抱えの御用
師
がいた。
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
茶畑新割町 和徳 中初 亀甲学区 二 親方町、百石町、百石町小路、一番町、東長町、元寺町、鉄砲町、○上
鞘
師
町,、下
鞘
師
町、元寺町小路、下白銀町、笹森町、長坂町、蔵主町、大浦町、田町、田茂木町、禰宜町、若党町、小人町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁 下白銀丁 元大工町 元長町 親方町 元寺町 一番丁 鉄砲町 上
鞘
師
町, 下
鞘
師
町 元寺町小路 東長町 百石町 百石町小路 田町 田茂木町 禰宜町 笹森町 長坂町 蔵主町 大浦町, 一町田村 二本木村 深山村 兼平村 五代村 門前村 築館村 菖蒲川村 宮地村 新岡村 葛原村 新法
師
村, 中別所村 鼻和村 山科村 小島村 鶴田村 三ッ森村 四戸ノ沢村 八小区(一三ヵ村) 蒔苗村 薬
師
堂村,津軽郡第二大区 一〇小区(一二ヵ村) 大沢村 石川村 小金崎村 鯖石村 八幡舘村 乳井村 薬
師
堂村
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
一方、職人集団として鍛冶(かじ)九一・銅屋(どうや)二一・大工三九・馬屋および馬喰(ばくろう)一八・
鞘
師
一一,・鷹
師
二九・紺屋一二九がいた。,は元寺町に新たな町割りがされ、本寺(もとてら)町一丁目(現一番町)・白銀(しろがね)町(現鉄砲町)・
鞘
師
町,が二町(現上・下
鞘
師
町)・本寺町五丁目(現元寺町小路)ができたこと。
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
百石町 同細小路 一番町 小田桐〓 東長町 元寺町 鉄砲町 上・下
鞘
師
町
通史編3(近世2)
(諸役と仲間)
銅屋・博労(ばくろう)・鋳物
師
(いもじ)・菓子屋・石屋・山
師
・金掘り・蕎麦(そば)屋・檜物屋・餌差(えさし,)・革屋・左官・
鞘
師
(さやし)・飾屋・豆腐屋・塗
師
(ぬし)・そうめん屋・青物屋・座頭・料理屋・髪結・狂言
師
,銅屋二一・馬屋と博労一八・
鞘
師
一一である(長谷川成一「弘前城下について」同編『弘前城下史料』上 一九八六年,蕎麦切 5文目(両浜・在浦2文目5分) 素 麺 10文目 絞 油 15文目 研 屋 1匁5分
鞘
,
師
1匁5分 附木屋 5文目 金具屋 3文目 鋳物
師
7文目 鍋 屋 7文目 升 屋 25匁
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
) 亀甲町,紺屋町,新町,茂森町,塩分町 下 役 本銅冶町・東銅冶町,本寺町(二丁目・五丁目)
鞘
師
町,、御弓
師
二人、御矢
師
二人、御鉄炮屋四人、御鍛冶七人、御能役者三七人、目明一人など計一四一人に及んでいる,5両3人扶持 2人 御弓
師
10両5人扶持 30俵 2人 御矢
師
7両4人扶持 30俵 2人 御鉄炮屋,25俵 2人 御研屋 50俵 30俵 2人 御金具屋 30俵2人扶持 30俵(2人) 3人 御
鞘
師
,25俵 1人 御塗
師
7両5人扶持 5両5人扶持 4両2人扶持 30俵 15俵2人扶持 3
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
まや)町坤の櫓の下・馬屋町橋東の方の行角・馬屋町の中町・荒町(あらまち)へ通る古川通り・荒町川端町・鷹
師
町,の細小路・鷹
師
町中ほどより江戸町への通り・袋宮寺山道・五十石町の上細小路・五十石町の北詰め行き止り・五十石町,石以上金一五両以上の藩士が居住していたのを、御目見得以上の藩士に屋敷を与えることとし、代官町・若党町・五十石町・鷹
師
町,相良町 三〇〇石より一〇〇石まで 馬屋町 三〇〇石より一〇〇石まで 百石町 一〇〇石 ただし
鞘
師
町通,りは一〇〇石、細小路大通・鉄砲町入口は五〇石、そのほか元
鞘
師
町御役柄小給の者へ割り渡し。
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
それが明治の三十年代にようやく活況の兆しを見せるようになったのは、二十七年の鉄道開通と三十年の
師
団設置,へた津軽歴代の城市、商業も工業も活気を失つて、半歳を深雪の中に埋められる淋しい市街も、日清戦役後、第八
師
団,剣
鞘
を鳴らして勇ましく街道を歩み行く青年士官の群は、尠(すくな)くとも古く衰へた屋敷町の津軽少女の眼を,(田山花袋『生』第一八章、明治四十一年刊) こうして、
師
団の設置によっておびただしい外来の転住者と,住吉町あたりには、将校や下士官のための下宿屋、そして兵隊相手の飲食店、小料理屋、各商店が並び建ち、殊に
師
団通
通史編3(近世2)
((三)住居)
親方町(おやかたまち)・志わく町(しわくまち)(後に塩分町(しおわけまち))・茂森町(しげもりまち)・
鞘
師
町
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
大工町 元長町 右取扱 副戸長 大島栄作 同小二区 下白銀丁 元寺町 一番丁 鉄炮〔砲〕町
鞘
師
町,第一六区(大鰐)(注、( )は旧組名) 薬
師
堂 乳井 大沢 石川 吹上 三目内 森山 居土 鯖石 八幡舘,鳥井野 駒越 近名 龍ノ口 如来瀬 兼平 一町田 二本木 深山 門前 菖蒲川 宮地 新岡 葛原 新法
師
,賀田 細越 鼻和 山科 四戸ノ沢 鶴田 折笠 宮舘 中別所 第二五区(高杉) 鬼沢 独狐 蒔苗 薬
師
堂
通史編3(近世2)
(消防制度)
みなみよこちょう)・田町(たまち))、東長町(ひがしながまち)(東長町・元寺町・寺小路(てらこうじ)・
鞘
師
町
通史編2(近世1)
(慶安二年の「弘前古御絵図」)
次に、職人集団であるが、職人町として、紺屋(こんや)町・
鞘
師
(さやし)町・鍛冶町・大工町・銅屋(どうや
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
牛肉も、また、
師
団設置以来、軍隊による需要が激増し、それがまた一般への普及を助けることにもなった。,三十九年に上
鞘
師
町にミルクホールが開店し、数種の洋食と和洋酒を客に提供した。
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
・茶屋山(長町)・太神楽(鍛冶町)・道成寺(銅屋町)・素浜山(桶屋町)・神楽山(大工町)・大名行列(
鞘
師
町,祭りの様子は、藩のお抱え絵
師
今村養淳が描いたという「弘前八幡宮祭礼図」(弘図郷)と、平尾魯仙が文久元年
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