機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 19件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編4(近・現代1)
(県立工業学校)
候補地としては、時敏小学校の隣地、富田、
馬屋町
の三ヵ所が挙げられたが、選ばれたのは
馬屋町
の現在地、当時
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
白銀小学学区は、鷹匠町、江戸町(現中新町地区)、西大工町、駒越町、
馬屋町
、茂森町、片堀町(旧古堀町)、
通史編5(近・現代2)
(子ども会の動向)
鳳鷹会」(代表蝦名良逸)、南横町の「南友会」(代表小野俊夫)、駒越町の「駒越少年会」(代表佐藤逸郎)、
馬屋町
,紺屋町 桶屋町 下土手町 南横町 笹森町 浜の町 和徳町
馬屋町
鍛冶町 新鍛冶町 銅屋町 南川端町
通史編3(近世2)
(寛政期の城下)
御家中潰(つぶれ)町之事」(前掲『弘前城下史料』上)によれば、城南では在府町後通りと同新割町、城西では
馬屋町
,その受け入れ先になったのは、元寺町・蔵主町・在府町・相良町・
馬屋町
・百石町・笹森町・長坂町・森町・若党町
通史編3(近世2)
(西坂下御紙漉所)
七右衛門親子の仕事場は、西坂下(現市内
馬屋町
・藤田記念庭園)の岩木川から和徳堰が分流する辺りで、流人柳川調興
通史編2(近世1)
(土着策と弘前城下)
在府町の後ろ通り・在府町新割町・馬屋(まや)町坤の櫓の下・
馬屋町
橋東の方の行角・
馬屋町
の中町・荒町(あらまち,藩士が居住していたのを、御目見得以上の藩士に屋敷を与えることとし、代官町・若党町・五十石町・鷹師町・
馬屋町
,相良町 三〇〇石より一〇〇石まで
馬屋町
三〇〇石より一〇〇石まで 百石町 一〇〇石 ただし鞘師町通
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
石川行正 若党町 小人町 春日町 馬喰町 亀甲町 生駒慶宮 鷹匠町
馬屋町
通史編3(近世2)
(塵芥捨場の設置)
南溜池東側の土居添の下、西川岸川欠けの所、土手町の土田屋小兵衛家の裏通、御徒町川端川欠けの所、
馬屋町
の
通史編3(近世2)
((三)住居)
弘前古御絵図」(弘図津)によれば、弘前城を中心として、 城西――本百石町(もとひゃっこくまち)(後に
馬屋町
通史編3(近世2)
(草創期三代)
調興は当初城内に住んだが、後に湯口村に居住、さらに
馬屋町
の南隅(旧藤田別邸の庭園内)に移住し、八十四歳
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
、禰宜町、若党町、小人町、春日町、馬喰町、○亀甲町 亀甲 中初 盈進 中初 下町学区 一 鷹匠町、
馬屋町
通史編3(近世2)
(幕末期の市域)
このほかに諸士水練場は岩木川駒越町の土居下、同馬芸習練場は
馬屋町
の三御馬屋馬場、鉄砲場は春日町の春日神社
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
弘前停車場 黒石道 弘前市土手町 代官町、和徳村、豊田村、猿賀村 尾上村尾上 国幣社道 弘前市元寺町
馬屋町
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
なお、城の西坂下(
馬屋町
)にも三六軒の侍屋敷があった。 ,と在府町)、小人町(現小人町、笹森町、長坂町)、歩者(かち)町(現若党町)、侍町(現四の郭、三の丸、
馬屋町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
中土器丁 上土器丁 代官丁 和徳町 茶畑丁 茶畑新割丁 北横丁 紺屋丁 浜ノ町 五十石町 袋町 鷹匠町
馬屋町
通史編3(近世2)
(消防制度)
ち、周辺の寺町(てらまち)・蔵主町(くらぬしちょう)・亀甲町(かめのこまち)・紺屋町(こんやまち)・
馬屋町
通史編4(近・現代1)
(町財政の展開)
ハサルナリ、依テ後年度ニ於テ、改良ノ見込ヲ以テ、該工事施行セサルト、又物価ノ低落及工事ノ都合ニヨリ、
馬屋町
橋梁費金
通史編5(近・現代2)
(東奥義塾の昭和)
勤労奉仕のために授業どころではなく、
馬屋町
の畑作業、小比内農場の作業をはじめ、忠霊塔の整地や砂利運びなどに
通史編4(近・現代1)
(東奥義塾の再興なる)
下白銀町の校舎(現追手門広場)に復したのは、県立工業学校が
馬屋町
の新校舎に移って旧義塾の校舎を明けてからである
/ 1ページ