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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (鉄道の開通と運輸事業)

) 弘前運送店(江渡伊三郎) 小野合名会社(小野貞一)  ところで、鉄道が普及する以前は、乗合馬車,明治二十年代初頭には共同馬車会社・青弘馬車会社の二社が営業していた。,後者について知る史料はないが、共同馬車会社(青森浜町)は、馬車台数二八輌で、同盟員は青森五人、弘前三人,が加わり、馬車会社同士が熾(し)烈な競争を開始し、青森-浪岡間一五銭、弘前-浪岡間一〇銭ぐらいまで値引,写真85 弘前駅前の乗合馬車
通史編4(近・現代1) (運輸事業)

駅伝営業とは、陸運請負業、陸運継立業、宿屋業、渡船業及び陸運稼業(乗合馬車橇、荷牛馬車橇、人力車橇、荷牛馬人足,以下は乗合馬車規則の抜粋であるが、当時の乗合馬車の様子がおおむねうかがえるであろう。  ,乗合馬車取締規則   第一章 通則 第一条 乗合馬車営業ヲ為サントスルモノハ所轄警察署又ハ分署ヲ経由,ヲ並ベ馳セ又ハ濫ニ疾駆シ若クハ競走スベカラズ 第三十三条 馬車ノ通行及避譲方ハ左ノ例ニ従フベシ  ,一 馬車道ノ設ケアル場所ハ左側其設ケナキ場所ハ中央ヲ通行スベシ  二 馬車及歩行者ニ行逢フトキハ左ニ
通史編4(近・現代1) (運送業の活躍)

なお、昭和初年の段階で、人力車組合並びに中弘乗合馬車組合が存在したことから、庶民の足としてはまだ人力車,や乗合馬車が活躍していたことがわかる。,大正四年に青森県から刊行された『青森県治要覧』には「而シテ青森・弘前間ニ於ケル、国道ヲ通行スル荷馬車ノ,汽車貫通後、稍其ノ数ヲ減少セリト雖、四輪車ノ荷馬車ハ県下到ル処ニ往来シ、海陸運輸ノ利便ハ、他ニ優ルトモ
通史編5(近・現代2) (運輸事業の申請)

前者は、当時自動車による霊柩事業が皆無であり、専用外のトラック及び馬車などで輸送するというかなり不便を
通史編5(近・現代2) (観桜会(さくらまつり)の運営方針)

馬車の料金もバスと同一とするため、馬車組合に申し入れ、折り合いがつかなければ公園のたまり場を貸さない方針
通史編4(近・現代1) (騒動の発端)

する辞職勧告に同盟せんことを求め、一部内に五名乃至六名の委員を設け、三百余名の同意を得、委員は数台の馬車,しかし「官憲はあく迄威圧を加ふる決心で、勧告委員等の帰弘に際し、一行の馬車に警官を配乗せしめ警戒威圧の
通史編5(近・現代2) (道路の整備)

道路の整備 自動車や馬車等の車輛の往来が増大する中で、道路整備に対しても積極的な取り組みがなされた。
通史編5(近・現代2) (合併前後の観光対策)

写真229 弘前市観光案内所と馬車(昭和33年)
通史編4(近・現代1) (森文部大臣の遭難)

森文部大臣は式典に参列するため、馬車の用意を待っていたが、折から面会を求めてきた西野文太郎に腹部を深く
通史編5(近・現代2) (失業の増加と消費組合)

賃金は、人夫一日九〇銭、荷馬車夫一円六〇銭、大工一円七〇銭、運転手一円八〇銭だった。
通史編5(近・現代2) (宗教団体法の成立)

また、学校では、古田という軍人上がりの教師が机を叩き、生徒を扇動して排撃運動を起こさせ、馬車を差し向けられて
通史編5(近・現代2) (市の衛生対策と生活改善運動)

牧場でしかお目にかかれない現在とは違い、荷物運送に牛馬車を使い、陸軍将校が馬に乗り、農家が牛を使っていた,沿道居住者や建物管理者に道路掃除を督促し、荷牛馬車の使用者には、自発的に糞収容箱をとりつけさせるなど、
通史編4(近・現代1) (明治九年の巡幸)

天皇は時には馬車または輿(こし)、時には馬上と乗り物を替えられたが、側近者や従者の数だけで二〇〇人を超
通史編4(近・現代1) (藩祖三百年祭)

べるべくもないが、このほか、他町村からの人出は少なくとも五万人以上と言われ、そのため和徳町、松森町、駒越町などは荷馬車
通史編4(近・現代1) (弘前市長らの商業金融に関する意見)

ラシメテ、信用ノ基礎ヲ鞏固(きょうこ)ニシ、銀行ヲ利用セシムルコト  交通機関 改善要項 (一)荷馬車積載量
通史編5(近・現代2) (観桜会運営の打合会議)

馬車組合からは往復二〇円の要望があった。
通史編4(近・現代1) (町並みの推移)

殊に和徳町は年々荒物の移出が盛んになって、三十五、六年頃には荷馬車の通行も困難なほどのにぎわいを見せたこともあった
通史編5(近・現代2) (終戦直後のりんご景気)

写真114 馬車で運ばれるりんご  二十三年度りんごの生産量は一三七六万箱で、その生産額は九〇億六
通史編4(近・現代1) (町の様子)

をとらなかったら東京から道中を伯爵御親子は三人曳で、随行の家職や途中へ御出迎への有志家も皆な人力車や、馬車
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

ヘタルニ其ノ便ナル事三歳小児モ自由ニ往来ニヨシト云フ 今新町坂ヲ改良セルニ於テハ独リ人民ノミナラズ手車、馬車
通史編5(近・現代2) (「草を刈る娘」について)

また、七月に発表した「馬車物語」は、のちに『石中先生行状記』に収録される。
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