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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (弘前駅前地区整備事業)

弘前駅前地区整備事業 土地区画整理事業の代表例として弘前駅前地区を見れば、その目的は、駅前広場と駅前通,弘前駅前地区の整備計画は、昭和四十三年(一九六八)に駅前南地区の土地区画整理事業として開始され、当初の,この事業は駅前地区の周辺八六・七ヘクタールを対象地域とした計画の一部であり、昭和五十七年に終了した。,この計画は昭和五十四年開始の弘前駅前地区土地区画整理事業に引き継がれた。  ,駅前広場は、一万一七〇〇平方メートルを確保する。公園は児童公園を六ヵ所に配置する。 / 弘前駅前地区整備事業
通史編5(近・現代2) (小売業の動向)

③駅前通り商店街・・交通結節点たる国鉄、弘南電鉄弘前駅を擁し、駅前性機能をもっている。,⑥代官町商店街・・駅前と土手町とを結ぶ主要街路にありながら、それにふさわしい施設不足のため、現在は単なる,⑪中野・松原地区商店街・・新興住宅地を背後にもち、県道石川線(ママ)沿いの商店街と、弘南鉄道駅前付近の,昭和五十一年十月には弘南ビルが完成し、イトーヨーカ堂が入店し、駅前地区の集客力が増えた。,駅前の一、一一六人(同八・九%)が多い。
通史編5(近・現代2) (金澤市政の財政)

また、福士市政から受け継がれてきた弘前駅前再開発事業は金澤市政において完了する。   ,③弘前駅前再開発事業  福士市政から受け継がれてきた弘前駅前再開発事業は、三年度末には駅前地区土地区画整理,七年度から駅前地下道と地下自転車駐輪場が建設され、十年度には駅前広場が完成し、十一年度からJR弘前駅東西自由通路,そして、十四年度には、昭和五十四年度から二二年余りの歳月をかけた駅前地区土地区画整理事業は完了したのである,写真159 土地区画整理事業の終わったJR弘前駅前    (二)津軽広域圏の開発  六年九月、
通史編5(近・現代2) (市街地再開発事業)

この事業としては、昭和六十三年(一九八八)に計画決定した弘前駅前地区第一種市街地再開発事業がある。,図14 駅前地区都市改造事業
通史編5(近・現代2) (都市計画と道路建設)

昭和54年11月13日 1,520 3.3.5 弘前駅土手町線 22 590 〃 〃 0 3.3.6 駅前町取上線,  470 3.4.24 小比内川先線 16 880 昭和53年1月14日   880 3.4.26 駅前二丁目線,3.5.42 撫牛子停車場線 14 630 昭和43年8月14日 昭和51年4月15日 340 3.5.44 駅前町土手町線,24日   0 8.5.1 宮川大久保線 15 720 昭和51年4月15日   720 8.5.2 駅前,1号線 12 650 昭和54年11月13日 平成7年6月7日 0 8.6.1 駅前2号線 9 530
通史編5(近・現代2) (大型店舗の出店)

平成元年現在の大型店舗としては、イトーヨーカ堂(弘前駅前、店舗面積、一万五六六四平方メートル)、ダックシティ,また、これらの店舗は変動も激しく、タックシティが土手町から郊外に移り、また、弘前駅前地区再開発ビルにダイエー
通史編5(近・現代2) (観光客受入態勢の必要性)

観光客受入態勢の必要性 観光案内所の駅前近辺への設置については、市民の間からも要望が高かった。,事実、弘前市の表玄関口である駅前に案内所がなかったため、満足な観光ができず、不満を抱えて帰省した観光客,そのため市議会に駅前市有地使用願を提出する動きもあった。,駅前観光案内所に限らず、観光都市を目指すためには観光客誘致のための宣伝活動や、交通網の整備、観光施設の,もちろん後述するように、多数の祭りイベントが考案され、昭和三十三年には駅前に観光案内所ができ、大小さまざまな
通史編5(近・現代2) (合併前後の観光対策)

とくに市の玄関口である駅前に観光案内所がないことは、観光都市として致命的な欠陥であった。,加えて駅前に案内所がなくて観光しづらいなど、さまざまな否定的意見が上がっていた。
通史編5(近・現代2) (地区計画)

10日 8.5ha 第一種住居地域 住宅地   弘前市告示第234号     旅館・ホテル規制 弘前駅前,すれば、茂森新町地区、千年地区、浜の町地区、南大町地区、小比内地区、富士見台地区の六地区が住居系、弘前駅前,- 用途の制限 弘前駅前・上土手町地区 土地の高度利用が見込まれるJR弘前駅前地区及び上土手町地区において
通史編3(近世2) (子供を池に投げ殺害)

十二月二十三日条によれば、和徳(わとく)村(現市内和徳町・東和徳町・野田・表町(おもてまち)・大町(おおまち)・駅前町,・駅前・城東中央・稲田(いなだ))の長之の妻せんは、新里(にさと)村(現市内新里)惣左衛門の子の常と密通
通史編5(近・現代2) (スーパーマーケットの登場)

土手町57 33.11.1 食品・日用雑貨・衣料   和徳店 和徳町24 34.8.1   〃    駅前店,駅前町1-1 39.3.3   〃    桔梗野店 桔梗野222 39.5.23   〃    松原店
通史編5(近・現代2) (土地区画整理事業)

城東第2 〃 S46~S51 20.2 2,000 城東第3 〃 S46~S52 43.3 2,600 駅前南,城東第4 〃 S59~H7 119.1 8,000 小計     554.1 36,440 整備中 駅前
通史編5(近・現代2) ([口絵])

† 弘前駅 口絵55 昭和29年、朝の国鉄弘前駅 口絵56 昭和30年代観桜会時の駅前,口絵57 3代目弘前駅舎(昭和56年供用開始)と駅ビル「アプリーズ」 口絵58 駅前,79 平成11年度都市景観大賞受賞の下土手町地区 口絵80 都市景観100選に選ばれた弘前駅前地区
通史編4(近・現代1) (『曠野の花』に描かれた笹森儀助)

笹森老人と一緒に下車して駅前に出た。 「わしはここでお別れします。満州は危険が多い。,はどうでもよろしい、元気にやりましょう」と大袋をヤッコラサと肩にかけ、凸凹の山高帽をかぶり直して、私を駅前
通史編1(自然・原始) (原ヶ平面)

面上には南から原ヶ平・中野・三岳・豊原・富田・大富町・土手町・大町・駅前などが位置し、特に中野地区から,北側の土手町・大町・駅前付近は扇端部に位置している。
通史編5(近・現代2) (りんご加工業の展開)

無限責任竹舘林檎販売購買信用利用組合(以後は「竹舘林檎組合」と略す)の創設者である相馬貞一が奥羽線石川駅前
通史編5(近・現代2) (りんご酒の醸造)

対し、政府は救農対策として農村工業振興策を講じるが、その一環として、昭和十二年(一九三七)七月、弘前駅前
通史編5(近・現代2) (秩父宮殿下の御来弘)

市内各小学校では全校児童が駅前に整列し、各校校長は駅構内に出向いて奉迎した。
通史編5(近・現代2) (盆踊り)

各地区ごとに行われていた盆踊りは、地区により変容、衰退、廃絶してしまったが、「津軽ドダレバチ大会」が弘前駅前商店街振興組合
通史編5(近・現代2) (観桜会運営の打合会議)

青森観光協会機関紙への特集号として「花の弘前」を掲載し、青森駅前の観光塔に広告を記載し、弘前駅前案内所
通史編5(近・現代2) (りんご加工業と輸出)

竹舘産業組合(現平賀町)の相馬貞一は、昭和二年(一九二七)、組合の経営の一環として石川駅前に加工場を開設,写真45 県購連弘前林檎加工場(弘前駅前)  竹舘産業組合でシャンパン事業に従事した佐藤弥作、田中武雄
通史編5(近・現代2) (満州事変勃発と小学校)

十四日午前四時半、同六時半の三回にわたって出発したが、市内小学校三学年以上の男女児童は、三回に分かれてこれを弘前駅前
通史編4(近・現代1) (鉄道の開通と運輸事業)

写真85 弘前駅前の乗合馬車
通史編5(近・現代2) ([付図])

弘前市名誉市民条例制定〈平成5年〉(左から、花田勝治・奈良岡正夫・工藤甲人・彌冨啓之助・古川武治) 45 駅前地区都市改良事業完工
通史編4(近・現代1) ([口絵])

第五連隊の救助を指揮した齋藤長義輜重第八大隊長 (元弘前藩士) 口絵29 日露戦争凱旋門(弘前駅前
通史編5(近・現代2) (相次ぐ火災)

さらに昭和三十二年十月二十五日には弘前駅前の映画館が全焼した。
資料編1(考古編) (第5節 温泉)

2号泉 弘前市大字土手町2 450 100 42.0 0 180 25 マルサン温泉 弘前市大字駅前,2丁目18-2 420 150~100 37.0 0 360 26 浜館温泉 弘前市大字駅前2丁目
通史編4(近・現代1) (新事物)

発車前五分間は、駅夫が駅前で鈴を鳴らし続けたが、これは代官町あたりまで聞こえた。
通史編5(近・現代2) (郷土部隊の出征)

写真15 名古屋駅前通過の郷土部隊  満州事変勃発以降の第八師団の戦闘で、有名なものに熱河(ねっか
通史編5(近・現代2) (鉄道営業の整備)

ホームから駅前広場は『若さ』で一杯でグッと胸を突くものがある。其の通学生は実に一千人。
通史編5(近・現代2) (空襲を受けなかった弘前市)

弘前市は駅周辺、八戸市は駅前と電話局周辺などだった。
通史編5(近・現代2) (知事・市長への陳情)

市長の回答は、駅前と駅東側を結ぶ連絡道路についてや、弘前駅の民衆駅化について努力すること、弘前バイパス
通史編4(近・現代1) (鉄道事業の伸展)

◇弘南鉄道計画 弘南鉄道株式会社建設事務所は七月一日から弘前駅前大室旅館支店の東向き一室を借受芳賀事務主任以下四五名
通史編5(近・現代2) (生活道路の計画)

この間には、昭和五十七年度に懸案であった城東地区と駅前地区を結ぶ地下連絡道が完成し、歩行者及び自転車の
通史編5(近・現代2) (福士市政の財政)

また、駅前地区約三〇・一ヘクタールの都市改造事業が始まり、測量等の経費に四五〇九万円余り、用地取得費に
通史編4(近・現代1) (運輸事業)

弘前駅前で倉庫業、鉄道貨物取扱業などを経営)との競合が始まったが、間もなく補助金がなくなって、継立所は
通史編5(近・現代2) (弘前市総合開発計画(昭和五十三年計画)の策定)

商店街については、土手町商店街が集客力があるのに対し、駅前商店街の整備が遅れていた。
資料編1(考古編) ([付図])

2号泉 弘前市大字土手町2 450 100 42.0 0 180 25 マルサン温泉 弘前市大字駅前,2丁目18-2 420 150~100 37.0 0 360 26 浜館温泉 弘前市大字駅前2丁目
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