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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

矢立峠をはさんで大館側には矢立廃寺が、大鰐側には高伯寺跡が知られており、いずれもこの時代の大寺院である,前項で触れたように、高伯寺は『津軽一統志』に、後白河院が六六国に建立した国分寺の一つであるとされており,高伯寺とかかわる大鰐町大円寺には、日本最北端の丈六仏である大日如来像(実は阿彌陀如来像)があるが、鎌倉前期,写真78『津軽一統志』高伯寺 写真79 大日如来座像  また七時雨峠(ななしぐれとうげ
通史編3(近世2) (大円寺)

明治五年(一八七二)、神仏分離により最勝院が大円寺の場所へ移り、大円寺は高伯寺(こうはくじ)(現南津軽郡大鰐町
通史編1(古代・中世) (延久蝦夷合戦と津軽)

されており、福王寺以外にも、後白河上皇の創建と伝えられ「津軽国分寺」の伝承(史料五二二)をもつ大鰐町蔵館の高伯寺,写真75 高伯寺跡(大鰐町)  とはいえ、延久合戦後の津軽・比内・鹿角・糠部など、北緯四〇度以北
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

、私たちに弘前における中世神社の原形もまた、古代の坂上田村麻呂の開基伝承と僧円智の天台布教(とりわけ高伯寺,高伯寺 大鰐町 真言宗 大鰐村蔵館村は『阿闍羅山の記』に、大同年中に田村麻呂の参詣あり、東夷征伐を,明治の神仏分離で高伯寺の旧地の大鰐町に移転。  
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

真言五山寺 初め、小沢村にあり (6) 大円寺 真言宗別行派 不詳 初め、大浦種里村にあり (7) 高伯寺,、古代~中世に建立された寺院の総数は五八にも及び、そのうちの百沢寺、最勝院、国上寺、久渡寺、大円寺、高伯寺,一方、百沢寺、最勝院、大円寺、そして高伯寺はいずれも移転を繰り返した寺院である。,往日有二山東腰内村一」(写真139)と伝えるように、もともとは十腰内村に開基されたものであり、最勝院・大円寺・高伯寺,したとされる早瀬野(はやせの)や宿川原(しゅくがわら)、さらには、当初天台宗であったと思われる大円寺・高伯寺
通史編3(近世2) (大社の神仏分離)

これに伴い、大円寺は高伯寺(こうはくじ)跡(現南津軽郡大鰐町(おおわにまち))へ移転した。  
資料編1(古代・中世編) ([十二世紀])

●このころ、高伯寺創建という。 ●仁安二年(一一六七)十月二十六日、競馬に藤原秀衡の馬。
通史編3(近世2) (寺院の動向)

蔵館(くらだて)村(現南津軽郡大鰐(おおわに)町蔵館)の高伯寺(こうはくじ)が無住となり、その跡地に大円寺
通史編3(近世2) (出発)

この村に続く蔵館(くらだて)村では大日堂(だいにちどう)(神岡山高伯寺(かみおかさんこうはくじ)、現大円寺
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 吾妻鏡 136 ●このころ、高伯寺創建という。
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