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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(自然・原始)
(高杉面)
高杉
面
高杉
面は岩木川以北に分布し、市街地の城東面に対比される。,面上には鼻和(はなわ)・富栄(とみざかえ)・独狐(とっこ)・前坂・
高杉
・糠坪(ぬかつぼ)などが点在し、,面の高度は鼻和・富栄付近で約三七~四〇メートル、独狐で約三二~三三メートル、前坂・
高杉
で約二七~二八メートル,ほとんどりんご園として利用されているが、特に鼻和・富栄と、
高杉
付近の谷底部では水田として利用している。,ところで、
高杉
面を構成する駒木浮石流凝灰岩に相当する軽石粒混じり粗粒砂層は、砂沢溜池に注ぐ小谷および前萢川流域 /
高杉
面
通史編5(近・現代2)
(高杉小学校の創設)
高杉
小学校の創設 昭和三十八年(一九六三)四月一日、
高杉
小学校と独狐小学校が合併し、新たに弘前市立
高杉
小学校,発表し、学校統合整備、危険校舎解消などを五ヵ年の間に積極的に押し進めようというもので、その第一着手が
高杉
,大正十三年(一九二三)六月再び合併、十五年(一九二五)六月に分離していたもので、両校は同じ
高杉
村でありながら,両校とも老朽校舎だったため新敷地に校舎を改築することにし、三十八年九月
高杉
字神原七番地一に鉄筋二階建て,新発足の
高杉
小学校は一八学級編成、初代校長に大瀬秀四郎が就任した。 /
高杉
小学校の創設
通史編5(近・現代2)
(北辰中学校の開校)
北辰中学校はこれまでの
高杉
中学校と自得中学校の統合により誕生した。,最初は名目統合で、
高杉
校舎と自得校舎に分かれて授業、
高杉
校舎は生徒数三一五人、教員数一五人、九学級編成,統合新校舎は校地を
高杉
字五反田に定め、鉄筋コンクリート造三階建ての新築工事は、昭和四十五年三月から第一期工事,完成と同時に
高杉
・自得両校舎から新校舎に移転、実質統合となった。
通史編5(近・現代2)
(総選挙での戦い)
町村名 清水 和徳 豊田 堀越 千年 駒越 岩木 相馬 東目 屋 西目屋 藤代 新和 大浦 船沢
高杉
, 同 佐藤謙之進 同 今泉銀次郎 同 吉安俊策 同 杉見惣助 △常任幹事
高杉
村
高杉
隆治, 弘前市 工藤五三郎 △幹事
高杉
村
高杉
隆治 豊田村 小山内徳進 大浦村 齋藤晋作,
高杉
金作 東京 工藤十三雄 和徳村 笹森栄 △相談役
高杉
村
高杉
隆治 弘前市 大高喜八郎,
高杉
平治 立憲民政党青森県支部の中弘関係者 △支部長 野辺地町 野村治三郎 △顧問
通史編4(近・現代1)
(中津軽郡会)
村会議員互選当選者 駒越村 石郷岡文吉 堀越村 葛西穏 和徳村 川村譲
高杉
村,大地主互選会当選者 和徳町 笹森清次郎 和徳町 加藤 長章 豊田村 小山内雄蔵
高杉
村,
高杉
金作 藤代村 岩谷吉太郎 なお、郡会議員の選挙制度は、明治三十二年九月十五日の選挙から複選法,藤代村 小山左七(憲本) 新和村 大高喜八郎(憲本) 船沢村 高谷貞助(憲本)
高杉
村
通史編1(自然・原始)
(掘さくの深度)
また、平野西部では、弘前市街地から岩木町付近、弘前市
高杉
付近の順に深くなる。,同一帯水層からの揚湯と仮定すると、帯水層の形状は田舎館村付近および弘前市
高杉
付近を中心とする盆状構造を,一方、東部の平賀町・田舎館村・浪岡町付近には、五〇〇メートルより浅い温泉が分布しないし、弘前市
高杉
より,判断すると、帯水層を形成する地層は南北性に延びた褶曲(しゅうきょく)軸(平賀町-田舎館村地区・弘前市
高杉
地区,なお、弘前市街地から
高杉
地区にかけては、掘さく深度が徐々に増加することから、断層の存在は考えにくく、弘前市街地
通史編4(近・現代1)
(町村合併と弘前市制施行)
小友村 三和村 笹舘村 船沢村(大字富栄)-富栄村 細越村 折笠村 宮舘村 中別所村 蒔苗村
高杉
村,(大字独狐)-独狐村 前坂村 薬師堂村
高杉
村 糠坪村 裾野村(大字大森)-大森村 貝沢村 鬼沢村 ,
高杉
村-大村
高杉
村と旧藩時代
高杉
組の頭村に由来。
資料編1(古代・中世編)
(弘前1~133)
106 弘前市中別所字葛野-石仏- 弘前107 弘前市中別所字葛野-荼毘館跡- 弘前108 弘前市
高杉
字山下,-八重の森- 弘前109 弘前市
高杉
字山下-八重の森- 弘前110 弘前市
高杉
字山下-下
高杉
墓地・,八重の森- 弘前111 弘前市
高杉
字山下-南貞院境内- 弘前112 弘前市
高杉
字阿部野-下
高杉
墓地,- 弘前113 弘前市
高杉
字神原-工藤喜久雄氏宅地内- 弘前114 弘前市独狐字独狐森-稲荷小祠横
通史編4(近・現代1)
(鬼沢小学開校と「村落小学」)
同 同 二 七〇 同 現船沢小学校 独狐小学 同 独狐村 同 新築 公有 一 七〇 同 現
高杉
小学校,の前身
高杉
小学 同
高杉
村 同 民家 借用 一 四六 一七 同 現
高杉
小学校の前身 鬼沢小学 同
通史編4(近・現代1)
(郡制の施行)
中津軽郡会議員(定員一六人) 駒越村 石郷岡文吉 堀越村 葛西穏 和徳村 川村譲
高杉
村,新和村 野呂源太 藤代村 未詳 大地主互選議員 笹森清次郎 加藤長幸 小山内雄蔵
高杉
金作,藤代村 小山左七 新和村 大高喜八郎 船沢村 高谷貞助
高杉
村 外崎平八 岩木村 太田惣六
通史編3(近世2)
(長徳寺)
長徳寺 長徳寺(ちょうとくじ)は、享禄年間(一五二八~三一)、
高杉
(たかすぎ)村(現市内)に創建され
資料編1(古代・中世編)
([付図])
72~106 弘前市中別所字葛野 石仏 107 弘前市中別所字葛野 荼毘館跡 108~110 弘前市
高杉
字山下,八重山(八重の森) 111 弘前市
高杉
字山下 南貞院境内 112 弘前市
高杉
字阿部野 下
高杉
墓地 113,弘前市
高杉
字神原 工藤喜久雄氏宅地内 114 弘前市独狐字独狐森 稲荷小祠横 115 弘前市独狐字石田,周辺の中世城館跡 1 笹館 66 大釈迦館 2 小友館 67 真言館 3 種市館 68 持子沢館 4
高杉
館
通史編4(近・現代1)
(民次郎百年忌)
「義民藤田民次郎建碑趣意書」で、差出人は中津軽郡裾野村大字鬼沢の鳴海柾吉、野呂利江次郎、
高杉
村の藤田重太郎,ニシテ五穀実ラズ下民饑餓ニ泣クモ惨状上ニ達セス人心為メニ恟々(きょうきょう)タリ 時ニ文化十年九月
高杉
組藤代組広須組木造組等,人名別紙ニ参考ニ供ス 大正三年一月 文化十年九月四組百姓強訴事件ニ関シ処刑セラレシ人名
高杉
組鬼沢村彦兵衛二男, 仝 弥三右衛門(大赦により十二月廿八日十四里四方追放大場構)
高杉
組十腰内甚太郎子,上鞭刑拾八村払 忠三郎 藤代組廻関村 鞭刑 拾弐鞭 弥五左衛門
高杉
組貝沢村
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
對馬安次郎 笹舘村 (欠落) 旧
高杉
組, 神半次郎 楢木村 小山内貞助
高杉
通史編4(近・現代1)
(貴族院議員選挙の概況)
宮川忠助、和徳村-笹森栄、千年村-松木純一郎、船沢村-高谷貞助、弘前市-菊池長之・桜庭秀輔・藤田久次郎、
高杉
村,-
高杉
金作・鳴海傳次郎、関藤吉、石崎定吉の一五人がいる。
資料編1(考古編)
(3.尾上山遺跡)
3.尾上山遺跡 (遺跡番号 02005)(図3・第2章図18) (1)所在地 弘前市大字
高杉
字尾上山,、俗称寺屋敷または
高杉
山 (2)遺跡の立地 岩木山の東北東麓に点在する小丘糠森山(149.3m)
資料編1(古代・中世編)
(七 板碑の発見と保護の状況)
①弘前市
高杉
の宇気茂都大神の板碑は、工藤喜久雄氏屋敷内へ移転し、奥石神社として祭られている。,②弘前市
高杉
八重の森の断碑上半は、下
高杉
墓地で確認(山屋道朗氏の調査による)。
通史編2(近世1)
(民次郎一揆)
民次郎一揆 文化十年(一八一三)九月二十八日、藤代組(ふじしろぐみ)(現弘前市・北津軽郡鶴田町)・
高杉
組,判然としなかったようであり、最終的には、工藤仁右衛門に願書を手渡しし、終始首謀者であることを主張した「
高杉
組鬼沢村彦兵衛次男民次郎,このほか、
高杉
組立石村(たていしむら)(現西津軽郡鰺ヶ沢町)庄屋作太郎と木造新田山田村(やまだむら)(
通史編4(近・現代1)
(農会の設立と農事改良)
千年一一九、相馬一三八、東目屋一一一、西目屋一五八、岩木一五〇、大浦二六二、船沢一七五、駒越一七四、
高杉
一二六,(堀越村)、稲-木村要作(豊田村)・木村長五郎(同)、大豆-清野長二郎(清水村)、株大豆-象潟皓一(
高杉
村,堀越九九、千年八九、相馬九三、東目屋八八、西目屋一四七、岩木一一六、大浦二三六、船沢一一三、駒越一一三、
高杉
九六
通史編4(近・現代1)
(小学校令と中津軽郡)
尋常小学校となったもの五校 強行尋常小学校(十六年六月
高杉
・独狐小学校が合併したもの。,現
高杉
小学校) 富栄尋常小学校(二十年五月鼻和・富栄小学校が合併。
資料編1(古代・中世編)
(第二節 五輪塔)
水輪 三世寺神明宮疱瘡神の堂内 風輪・空輪 中崎字川原田(俗称五輪)の畑 火輪・地輪
高杉
八重,また、
高杉
の八重の森の五輪塔も確認できない。,『陸奥古碑集』に見える五輪塔 二(右上)は中崎,七(右下)は
高杉
八重の森,十一(左)は乳井の五輪塔
通史編5(近・現代2)
(経済更生運動と計画)
経済更生計画は全村ぐるみで行われ、同計画に基づいて、新和村、船沢村、豊田村、和徳村、堀越村、大浦村、
高杉
村,1,199 大浦村 516 423 241,245 570 船沢村 524 515 274,212 532
高杉
村,経済更生計画は全村ぐるみで行われ、同計画に基づいて、新和村、船沢村、豊田村、和徳村、堀越村、大浦村、
高杉
村
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
実業家、貴族院議員)、岩谷吉太郎(藤代村、第三代村長、県会議員)、高谷貞助(船沢村、中津軽郡議会議長)、
高杉
金作,(
高杉
村、衆議院議員、弘前商業会議所会頭)、笹森栄(和徳村、村長、県会議員)、松木純一郎(千年村、村長,小杉佐吉(駒越村長)、大浦村-神文之介・笹義幹(大浦村長)、船沢村-対馬源太夫・永野正也(船沢村助役)、
高杉
村,-
高杉
金作・藤田重太郎、堀越村-新屋多助(堀越村長)である。
通史編5(近・現代2)
(一 小学校教育)
田中豊広 一二 四一五 一〇 6 小学校 新和 種市字高瀬九五 工藤武衛 一一 四三三 一〇 7 小学校
高杉
,
高杉
字神原二六四 松山正 一三 五一二 一二 8 小学校 独弧 独弧字松ヶ沢二九の一 小山秀雄 八
資料編1(古代・中世編)
(一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)
記録に伝えられた「十二人屋形城衆」の名は、①桜庭太郎左衛門、②中畑惣助、③村市与七郎、④大秋彦次郎、⑤
高杉
孫二郎,桜庭太郎左衛門初名兵助信正、(中略)国吉関惣右衛門、弟黒土近江ヲ分知ス、蒔苗八右衛門、村市形部、(中略)
高杉
杢左衛門
通史編5(近・現代2)
(計画案の修正)
③ 藤代中学校と第二中学校、自得中学校と
高杉
中学校、千年中学校と第三中学校、草薙中学校と新和中学校、これらの
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
中津軽郡 定員三人 当選 一五票 寺井純司(弘前・改進) 一五票
高杉
金作(,
高杉
・改進) 一三票 村谷有秀(富田・中立) 弘前市 定員二人 当選 二三票
通史編3(近世2)
(建坪と住宅平面図)
図96.間宮市三郎宅平面図 ○
高杉
形左衛門宅 建坪が三六坪二歩五厘というもので、当時の家宅,図97.
高杉
形左衛門宅平面図 ○堀口安兵衛宅 建坪が一八坪と記される小さなものであるが、外
通史編5(近・現代2)
(夏季オリンピック)
赤石光生は昭和四十年、弘前市
高杉
に生まれた。弘前市立第一中学校から八戸光星学院高等学校へ進学。
通史編5(近・現代2)
(農業会の解体と農協の乱立)
23年4月15日 弘前市 弘前市 昭和23年4月28日 裾野村 裾野村十腰内 昭和23年10月18日
高杉
村,
高杉
村 昭和23年4月15日 西目屋村 西目屋村大秋 昭和23年4月30日 弘前市 弘前第一 昭和26,しかし、単協からの連合会委託は少なく、中津軽郡では、清水村、
高杉
村、堀越村などの経済的力量のある単協は
通史編2(近世1)
(廃田復興・新田開発の進展)
新田地方が多く、藩の穀倉である現在の南津軽地域は少ない傾向がみられるが、現在の弘前市域に当たる藤代・
高杉
組,67.41 378.689 藤代 120.21 877.590 152.49 373.214
高杉
,開発が見込まれている土地は一二九六町八反歩で、現在の弘前市域に限っても、小友村のほか、和徳組津軽野村、
高杉
組
高杉
村
通史編4(近・現代1)
(農業団体の発展)
するようになり、同三年(一九一四)には独自に清水・和徳・豊田・堀越・駒越・岩木・相馬・東目屋・藤代・大浦・船沢・
高杉
,さらに、船沢村青年団・
高杉
村強行青年団が、品評会を開催した(「各村農会開催、農作物品評会一等の受賞者」
通史編1(古代・中世)
([付図])
226の58ほか 〃 〃 〃 4 桜山遺跡 糠坪字桜山 畑・田 〃 縄文・平安 5 尾上山遺跡
高杉
字尾上山,
高杉
字尾上山 〃 城館跡・包蔵地 縄文・平安・中世 91 中別所舘 宮舘字房崎 〃 城館跡 〃 92,歴史 115 高田遺跡 高田1丁目13 宅地 散布地 縄文・奈良・平安 116 尾上山(2)遺跡
高杉
字尾上山,
高杉
字神原43の1~4、44の1ほか 〃 〃 〃 211 比内沢遺跡 宮館字比内沢120の6、131,222 宇田野(3)遺跡 〃 〃 506の1、2ほか 〃 〃 縄文 223 尾上山(5)遺跡
高杉
字尾上山
通史編4(近・現代1)
(試験法と地方集合試験)
及第人員ニ割当 タル補助金額 一人ニ付十銭 及第% 備 考 円 銭 円 銭
高杉
,二〇 九 一一 一、〇〇 、九〇 四五・〇〇
高杉
小 独狐 三四 一四 二〇 一、七〇 一、四〇 四一,・一七
高杉
小と合併 鼻和 四五 二二 二三 二、二五 二、二〇 四八・八八 船沢小前身 新岡 一八
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
小山 中畑 船水 藤代 土堂 石渡 鳥町 町田 藤内 八代 外瀬 大川 桂 川村 笹舘 第二四区(
高杉
,小島 熊島 高屋 坪貝 横町 賀田 細越 鼻和 山科 四戸ノ沢 鶴田 折笠 宮舘 中別所 第二五区(
高杉
,) 鬼沢 独狐 蒔苗 薬師堂 前坂
高杉
糠坪 楢ノ木 大森 藤井 貝沢
通史編4(近・現代1)
(地券の発行準備)
元弘前 第弐拾壱区 元駒越組 第弐拾弐区 元駒越組 第弐拾三区 元藤代組 第弐拾四区 元
高杉
組, 第弐拾五区 元
高杉
組 伊藤正良 平出清
通史編1(古代・中世)
(中世の農民)
独狐字笹元 船水 船水 尻引 中崎・三世寺周辺 三世寺 三世寺 名久井萢 中崎 鬼沢 鬼沢
高杉
,
高杉
宮館 宮館 斯土沢 四戸野沢 縫笠 折笠 望石 国吉 青女 青女子 小友 小友
通史編5(近・現代2)
(弘前青年学校の発足)
写真63
高杉
青年学校合宿訓練(茂森禅林において、昭和18年)
通史編5(近・現代2)
(二 中学校教育)
加藤屹郎 九 一九〇 六 4 中学校 新和 種市字小島五七 角田豊夫 一五 四三一 一一 5 中学校
高杉
通史編5(近・現代2)
(鉄道事業の消長)
この間、地元弘前市出身で当時三菱電機社長であった
高杉
晋一に働きかけ、三菱の資金約四億六〇〇〇万円を導入
通史編4(近・現代1)
(民次郎を継ぐ心)
発起人の一人藤田重太郎は、この趣意書が出されたとき
高杉
村長で、憲政擁護運動の中津軽郡の中心人物でもあり
通史編5(近・現代2)
(学校統合の推進)
⑦自得中学校を廃止し、
高杉
中学校に統合する。
通史編1(自然・原始)
(第四節 引用・参考文献)
青森県弘前盆地地域における温泉群の研究、青森県環境保健部、八-二七頁 (3)酒井軍治郎(一九八一) 弘前市
高杉
地区
通史編4(近・現代1)
(「農事調査」と中津軽郡)
376 152 5 323 船沢村 267 354 3 361 岩木村 384 580 0 468
高杉
村,、相馬村-米、駒越村-米、大浦村-米、船沢村-米、岩木村-米・稗(ひえ)・麻・瓜哇芋(ジャガイモ)、
高杉
村
通史編1(自然・原始)
(市街地の地形区分)
この台地は鼻和および富栄付近で標高四〇メートル、独狐および
高杉
付近で約三〇メートル、そして北方の小友付近,開析扇状地と下流側の氾濫原とに大別し、その構成層から判断して、上位から桔梗野面・松原面・原ヶ平面・城東面(
高杉
面
通史編4(近・現代1)
(市会と市役所開庁)
相馬豊景 東目屋村 今井一徹 藤代村 鎌田賢之輔 新和村 羽場久之助 船沢村 對馬源太夫
高杉
村
通史編5(近・現代2)
(本県初の鉄道電化)
ちなみに板柳までのルートは、西弘前駅から分岐し、樹木-茂森-駒越-大浦-船沢-
高杉
-裾野-新和-掛落林
通史編2(近世1)
(岩木川舟運)
実態は不明であるが、寛文年間には、御蔵は弘前・三世寺・板屋野木・鰺ヶ沢・十三・青森(現青森市米町)・
高杉
,(現弘前市
高杉
)に置かれていたことが判明する(「御定書 一~七」国史津)。
通史編4(近・現代1)
(大同派の支配)
から六十余人上京、弘前からは蒲田廣、樋口徳太郎、奈良誠之助、竹内半左衛門、中津軽郡からは柳田治三郎、
高杉
金作
資料編1(古代・中世編)
(はじめに)
乳井の板碑における福王寺毘沙門堂、国吉における工藤氏の存在、中別所から
高杉
方面に残存する板碑は「高椙(
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