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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(高照神社「御告書付」の開始)
高照神社
「御告書付」の開始 次に、高照(たかてる)神社(中津軽郡岩木町)に所蔵されている「御告書付(,
高照神社
は、四代藩主信政を祀り、津軽弘前藩において岩木山神社とともに厚く信仰された神社である。,この
高照神社
には、次の史料(大正五年「神社創設ノ由来」
高照神社
蔵)に示された内容の「御告書付」が、享和元年,ところで、
高照神社
に残る最も古い「御告書付」は享和元年(一八〇一)のものであるが、「国日記」によれば
高照神社
創建時,その意味で、
高照神社
蔵「御告書付」の残存状況は本来的なものとしてよい。 /
高照神社
「御告書付」の開始
資料編3(近世編2)
(●高照神社 岩木町大字百沢字神馬野)
●
高照神社
岩木町大字百沢字神馬野 (一)本殿--県重宝 津軽四代信政が神式で埋葬されたところであり,図31
高照神社
本殿・拝殿・幣殿平面図 (二)中門--県重宝 一間一戸の平唐門で屋根は柿葺であり / ●
高照神社
岩木町大字百沢字神馬野
通史編2(近世1)
(高照神社の造営と「名君」信政像の創出)
高照神社
の造営と「名君」信政像の創出 生前、津軽信政は、幕府の神道方であった吉川惟足(よしかわこれたり,五代藩主津軽信重(のぶしげ)は翌正徳元年(一七一一)から同二年にかけて信政の神号をとった高岡霊社(現
高照神社
,図98.
高照神社
「棺を蓋(おお)うて事定まる」という。 /
高照神社
の造営と「名君」信政像の創出
通史編3(近世2)
(高岡霊社)
高岡霊社 高岡霊社(たかおかれいしゃ)(現
高照神社
、中津軽郡岩木町)は四代藩主信政を祀る。,現在、
高照神社
には「御告書付(おつげかきつけ)」が保存されている。 ,明治元年(一八六八)の「高岡祭司下役并御宮附小人共迄人別増減書上帳」(
高照神社
蔵)によれば、祭司役の配下,明治初年に
高照神社
と改称して郷社となり、明治九年(一八七六)為信が合祀され、同十三年県社となった。,図231.
高照神社
通史編2(近世1)
(寺社政策)
それは、四代藩主信政(のぶまさ)を祀(まつ)り、領内で最高の権威を誇る
高照神社
に対しても例外を認めず、,
高照神社
においても知行地は蔵入りとなって標符渡しとなった。,図144.
高照神社
この時期、藩の都市政策の一環としての弘前城下の屋敷改めのなかで、境内・寺社地
通史編1(自然・原始)
(南東麓)
たとえば、岩木山神社および
高照神社
は弥生面に、百沢小学校は百沢面に位置し、岩木山神社から弥生にかけては
通史編3(近世2)
(信政)
宝永七年(一七一〇)、遺命により岩木山麓の高岡霊社(たかおかれいしゃ)(現
高照神社
)に、北川新次郎が導師,前述のように現在、
高照神社
に「御告書付(おつげのかきつけ)」二五三件が所蔵されている。
通史編4(近・現代1)
(藩祖の銅像)
高さ一丈三尺(約四メートル)、甲冑を着けた軍装直立の像で、左手に太刀(
高照神社
蔵、友成の太刀を摸す)、
通史編2(近世1)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
静岡市立芹沢銈介美術館 松月院(東京都板橋区) 市立函館図書館 専修寺(青森県弘前市) 仙台市博物館
高照神社
資料編3(近世編2)
(協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))
京都府京都市) 専修寺(青森県弘前市) 禅龍寺(北海道斜里郡斜里町) 宗徳寺(青森県弘前市)
高照神社
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
) 仙台市博物館 宗徳寺(青森県弘前市) 袋宮寺(青森県弘前市) 大仏院(青森県弘前市)
高照神社
通史編5(近・現代2)
(津軽神楽)
津軽神楽は、正徳四年七月二十一日に行われた
高照神社
の大祭に奉納されたのが初演である。
資料編2(近世編1)
(協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))
東京国立博物館(東京都台東区) 市立函館図書館(北海道函館市) 大東急記念文庫(東京都世田谷区)
高照神社
通史編3(近世2)
((二)年中行事と生活)
四月中…藩主、革秀寺(かくしゅうじ)・高岡(たかおか)(現
高照神社
)・岩木山へ参詣。,二十一日…高岡霊社(現
高照神社
)祭日。城内で拝礼・神楽(かぐら)。
通史編3(近世2)
(江戸時代末期の建築)
その後、袋宮寺の本堂や久祥院殿の位牌堂の建立の際にもその技法は使われ、
高照神社
の各建築へと伝えられていった
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
口絵5 大阪歴史博物館蔵 口絵6 相馬錩一氏蔵 口絵7 弘前市 藤先寺蔵 口絵8 中津軽郡岩木町
高照神社
蔵,弘前市立図書館蔵八木橋文庫 84 国文学研究資料館史料館蔵津軽家文書 85 撮影 86 中津軽郡岩木町
高照神社
蔵,弘前市立図書館蔵岩見文庫 96 弘前惣御絵図 元禄11年 弘前市立博物館蔵 97 南津軽郡岩木町
高照神社
蔵,弘前市立図書館蔵一般郷土資料 155 作成 156 青森県立郷土館蔵 157 平賀町郷土資料館写真提供 158 岩木町
高照神社
蔵
資料編2(近世編1)
([口絵])
津軽越中守書状 (本文史料一〇〇一号) 信政公葬送図絵巻・部分 (今井玉慶筆,岩木町・
高照神社
蔵
通史編3(近世2)
(高岡霊社の宝蔵・弘前城の金蔵へ侵入)
十一月九日に、第四代藩主津軽信政(のぶまさ)を埋葬した高岡(たかおか)霊社(現中津軽郡岩木町百沢、明治初年に
高照神社
通史編5(近・現代2)
(弘前実科高等女学校の変遷)
武運長久の祈願のために、岩木山や
高照神社
に全校で参拝するなど、戦争の影響は次第に強くなった。
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
作成 198 作成 199 作成 200 作成 201 作成 202 作成 203 中津軽郡岩木町
高照神社
蔵,235 中津軽郡岩木町 岩木山神社 236 弘前市 長勝寺 237 同上 238 中津軽郡岩木町
高照神社
通史編2(近世1)
(飢饉に至るまでの経緯)
高照神社
の神官が、今さら祈祷をやっても無駄だから止めるべきと言上したものの、用人は江戸からの指示なので
通史編3(近世2)
(藩政後期)
これに対し、高岡霊社(現
高照神社
)祭司役後藤兵司(ごとうへいじ)は藩主から寄進された寺社禄を取り上げたことを
資料編3(近世編2)
(【解説】)
「切支丹改証文」は、
高照神社
の屏風の下張りであったもので、藩内三六ヵ村のものが残っている。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
図238.
高照神社
拝殿 随神門は県内では珍しく三間一戸の八脚門(やつあしもん)であり、切妻造の
資料編2(近世編1)
(【解説】)
中津軽郡岩木町所在の
高照神社
蔵「神社創設ノ由来」中の諏訪門兵衛の記事は、同社の祭司役後藤兵司が、乳井貢
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
十二日、正午に款冬(かんとう)ノ間で家老添田儀左衛門(そえだぎざえもん)と会い、来年正月の高岡霊社(現
高照神社
資料編3(近世編2)
(【解説】)
長谷川成一「近世北奥大名と寺社」(尾藤正英先生還暦記念会編『日本近世史論叢上巻』吉川弘文館 昭和五十九年)、
高照神社
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