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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(越後高田領検地の実施)
越後
高田
領検地の実施 天和二年(一六八二)三月十九日、津軽弘前藩江戸留守居役は老中阿部正武より越後
高田
領,
高田
領は幕領に編入され、それに伴って検地が実施されることになった。 ,表14 越後
高田
領検地派遣役人表(江戸から派遣) No.,○印は
高田
検地につき,新規召し抱えられた者。△印は
高田
検地下命前の召し抱え。 ,表15-1 越後
高田
領検地派遣役人表(国元から派遣) No. / 越後
高田
領検地の実施
通史編2(近世1)
(貞享検地への影響)
貞享検地への影響 領内総検地である「貞享検地(じょうきょうけんち)」は、
高田
領検地の翌年、貞享元年(,詳細については別項に譲るが、ここでは
高田
領検地と貞享検地の間に存在する関連性について触れる。 ,「貞享検地」のおもだった役人は、
高田
領検地の派遣役人、ないし
高田
領検地と何らかのかかわりを有する者であり,検地奉行の太田茂左衛門と今次兵衛は、
高田
検地にはともに竿奉行として国元から派遣された。,
高田
領検地の場合、竿奉行は手廻組・馬廻組に属する藩士が務めることが多かった。
通史編2(近世1)
(貞享検地)
貞享検地は、越後
高田
検地(天和元年〈一六八一〉の越後騒動の結果、幕府に収公された松平光長旧領の検地)に,越後
高田
検地と貞享検地との相関性は、 ①貞享検地のおもだった役人が、越後
高田
検地の経験者である。,②検地役人の大規模な組織体制は、寛文期から天和期までの検地での編成とは異なり、越後
高田
検地の例を踏襲したものと,④越後
高田
検地での検地竿は「なよ竹」を使用しており、貞享検地でも唐津船が積んで来た「なよ竹」「唐竹」を,これが、寛文期から天和期に行われた検地細目といかなる関連があるかということは知りえないが、これも越後
高田
検地
通史編3(近世2)
(槍術)
幕末まで奈良の宝蔵院に伝わり、中村(なかむら)・
高田
(たかだ)・磯野(いその)・下石(しもいし)派などが
通史編5(近・現代2)
(本県スキーの父・油川貞策)
本県スキーの父・油川貞策 明治四十四年(一九一一)一月、新潟県
高田
師団で、オーストリアのレルヒ少佐が
通史編3(近世2)
((三)主要人物)
○〈槍術〉
高田
平右衛門正重(たかだへいえもんまさしげ)(生没年不詳) 越後国
高田
の出身である。
通史編2(近世1)
(検地の実施)
4月 9日 越後
高田
検地へ動員のため中止。検地役人江戸登り。,しかし、三月十九日、越後騒動で改易された、松平光長(みつなが)の領地であった越後
高田
領の検地を命じられたため
通史編5(近・現代2)
(全国制覇なる)
大正末期から大活躍のめざましかったスキー部は、余勢をかって昭和三年の新潟県
高田
市で開催された全日本スキー
通史編5(近・現代2)
(都市計画と道路建設)
3.4.27 向外瀬神田線 16 1,110 昭和59年7月3日 1,110 3.4.28 境関
高田
線,16 1,730 〃 1,730 3.4.29 高崎
高田
線 20 1,010 〃 1,010
通史編1(古代・中世)
(津軽独立に向けて)
写真200 南部信直 さらに、天正十三年(一五八五)三月には外浜油川城を攻略し、それに続いて
高田
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
が存在するが、図5に示したように、それらはさらに、〈一〉大仏ケ鼻城・岡館・猿楽館・月館、〈二〉内館・
高田
館,図10 石川城跡の現状写真と模式図(大仏ケ鼻城地区) 第一ブロックの西にあるのが、内館・
高田
館,まず南側の虎口Dは、土橋fで
高田
館・寺館の南辺を巡る空堀h2を渡り、二つの館の間に入ってゆく。,さて、通路は虎口Dから土橋fを渡って
高田
館と寺館の間に入るが、この通路部分はわざと屈曲させられて、見通,さらにその先に進むと、
高田
館・寺館と内館の間に平行して横たわっている空堀h3・中土塁状の曲輪・空堀h4
通史編2(近世1)
(近世大名と大名課役)
寛文九年(一六六九)の寛文蝦夷蜂起(シャクシャインの戦い)に際しての松前出兵、天和二年(一六八二)の越後
高田
領検地
通史編4(近・現代1)
(県立弘前高等女学校)
大正十四年二月に新潟県
高田
市において第一回全日本女子スキー大会が開催されたが、以下に『工藤浅吉先生を偲,(中略)そこで当時の青森県知事、渡辺県視学官らは、同年二月二十一日新潟県
高田
市で開かれる第一回全日本女子
資料編1(考古編)
((2)文字資料と文字文化)
〃 10世紀代 29 「〓」 朝日山遺跡 〃
高田
集落跡 〃 9世紀代 墨書銘 遺跡名,熊野堂遺跡 〃 大字売市字熊野堂 〃 (9H) 〃 9世紀前半 59 「寺」 朝日山遺跡 青森市大字
高田
,31 大刀 八幡遺跡 八戸市櫛引字館の下 集落跡 〃 〃 32 〓 朝日山遺跡 青森市大字
高田
資料編1(考古編)
(はじめに)
また、明治43年(1910)ころには大築洋之助らによって札幌・大阪・
高田
などとともに、弘前においても都市地域
資料編1(考古編)
((1)縄文時代の土壙墓)
また、最近の事例としては、平成4年(1992)4月~11月にかけて行われた青森市
高田
の朝日山遺跡における
資料編2(近世編1)
(【解説】)
しかし天和二年三月、津軽家は、越後騒動で改易された松平光長(まつだいらみつなが)の領地であった越後
高田
,同年七月に
高田
領の検地終了後、領内検地を再開し、大道寺隼人(だいどうじはやと)と間宮求馬(まみやもとめ
通史編5(近・現代2)
(高度経済成長と出稼ぎ)
その多くは農家からの出稼ぎであった(
高田
浩稔『青森県出稼労働史』、一九九九年)。
通史編2(近世1)
(一揆の要因と結果)
に開発については名目ばかりで実がなく、「新規之堤処々に築き、山を穿(うが)ち、用水を引き、堰を掘り、
高田
資料編1(古代・中世編)
(一 石川城の立地と現状)
には、1大仏ケ鼻城、2岡館、3猿楽館、4月館(2~4を総称して次兵衛殿館ともいう)、5坊館、6寺館、7
高田
館
通史編2(近世1)
(本村と新田)
平賀郡の新田村は八村であるが、弘前城下からみると、津軽野村と向外之瀬(むかいとのせ)村は北、高崎・
高田
,299.53 6 青女子村 212.92 7 原ケ平村 290.43 7 薬師堂村 223.00 8
高田
村
通史編1(自然・原始)
(二 祭祀に特色を示す十腰内土器文化)
千葉市加曽利貝塚出土土器を標式とする)(64)土器が後を追って北上し、東北南部へ入って門前(もんぜん)式(岩手県陸前
高田
市
通史編4(近・現代1)
(農業団体の発展)
明治十三年(一八八〇)、清水村
高田
の果樹園においてブドウ及びりんごなどの栽培を始めた。
通史編4(近・現代1)
(町村合併と弘前市制施行)
津賀野村 百田村 向外瀬村 清野袋村 豊田村(大字新里)-新里村 境関村 福田村 福村 外崎村
高田
村
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
清野袋村 津賀野村 堅田村 撫牛子村 三小区(一七ヵ村) 菅野村 境関村 福田村 福村 新里村
高田
村
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
大道小道帳ではこの他にも小道・脇道の記載が多数あるが、浪岡~
高田
~荒川~浜田~青森間の大豆坂(まめさか
通史編3(近世2)
(箱館戦争をみた農民)
彼らは大豆(まめ)坂街道から山を越えて現青森市の
高田
に抜けたが、街道は諸藩の人数で充満しており、大変な
資料編1(考古編)
((5)塩業)
製塩土器,土製支脚 9C後半 11 三内遺跡 〃 三内字丸山 製塩土器 〃 12 朝日山遺跡 〃
高田
字朝日山
通史編5(近・現代2)
(出稼ぎの実態)
、昭和十三年、職業紹介業務は国営化された(中島寧綱『職業安定行政史』雇用問題研究会、一九八八年および
高田
浩稔,『青森県出稼労働史』
高田
浩稔、一九九九年)。
通史編5(近・現代2)
(幹線道路建設)
国道七号は、平成元年に
高田
地区が四車線化し、東北縦貫自動車道大鰐・弘前インターチェンジへのアクセス道路
通史編3(近世2)
(民衆の精神世界)
日本の瞽女としては越後(現新潟県)の
高田
瞽女が有名だが、近世には各地に瞽女の集団が存在した。
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
福村 小比内(さんぴない) 清水森 新里 門外 取上 松木平 小栗山 堀越 大和沢 大清水 外崎
高田
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
いたものだが、二十六年ごろ駒越の「山寅」が箱に入れ、また、皿に盛って出したものを、三十五年ごろに茂森町の
高田
屋
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
その理由は手伝普請とその前年に越後
高田
領検地を務めたためとされる。
資料編1(考古編)
([付図])
弘前市大字藤代一丁目4 庭園 江戸 02114 高長根山城 弘前市大字中別所字向野 城館跡 歴史 02115
高田
遺跡,弘前市大字
高田
一丁目13 包含地 奈良,平安 02116 尾上山(2)遺跡 弘前市大字高杉字尾上山212,低丘陵上と斜面 城館跡 縄文,鎌倉 安土桃山,江戸 縄文土器(晩期大洞B式)・土師器 73 02115
高田
遺跡,弘前市大字
高田
一丁目13 沖積低地 包含地 縄文(前・中期) 奈良、平安 縄文土器,土師器,須恵器
通史編2(近世1)
(江戸時代初期の大名課役)
銚子築港普請役を命じた江戸幕府年寄衆・普請奉行連署奉書 また、慶長十九年(一六一四)に築城された越後
高田
城
通史編2(近世1)
(二代信枚の動向)
からの軍役負担」に譲るが、慶長十四年下総国海上郡銚子築港の普請、慶長十六年の禁裏修造役、慶長十八年越後
高田
城
通史編1(古代・中世)
([付図])
藤代1丁目4の1 寺院 庭園 江戸 114 高長根山城 中別所字向野 山林 城館跡 歴史 115
高田
遺跡,
高田
1丁目13 宅地 散布地 縄文・奈良・平安 116 尾上山(2)遺跡 高杉字尾上山212の22ほか
通史編5(近・現代2)
(藤森市政の財政)
四十五年度には国道七号線弘前バイパスは豊田地区の
高田
地内まで事業が内定し、四十六年度には前年度の二倍近
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
松本は、宮城県の松島湾に浮かぶ宮戸島里浜(みやとじまさとはま)貝塚と、岩手県陸前
高田
(りくぜんたかだ)
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
…… 230 一 四代信政政治の動向と支配機構の整備 …………………… 230 二 越後
高田
領検地
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
高照神社蔵 87 弘前市立博物館蔵 88 弘前市立図書館蔵津軽家文書 89 弘前市立博物館蔵 90 越後
高田
領御検地御用之事由来候儀併御人数役付仰候覚
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
また、平成三年(一九九一)以後継続して調査が行われている青森市
高田
(たかだ)の朝日山遺跡では、前年の平成二年
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長十八年(一六一三)十一月十八日、津軽信枚、幕府より越後
高田
城普請役を命ぜられる。,●慶長十九年(一六一四)四月十九日、津軽信枚、最上氏の臣出羽本城々主本城満茂へ、越後
高田
城普請赦免につき
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