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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(青森町の成立と青森開港)
寛永三年(一六二六)四月六日、津軽信枚は家臣の森山弥七郎(もりやまやしちろう)へ
黒印状
を与えて、青森の,さらに、寛永十一年(一六三四)三月二十一日に、津軽信枚が重臣乾(いぬい)と服部の両名へ
黒印状
を発給して,元禄期に至っても、青森町奉行に油川へ旅船の着岸を認めてよいかという尋ねがあった際に、寛永三年の津軽信枚の
黒印状
,先述した寛永三年(一六二六)四月の青森開港を命じる津軽信枚
黒印状
には、一〇年間の年貢と諸役免除が明記されていたが
通史編2(近世1)
(正保の信義排斥事件)
図76.津軽百助(信隆)宛津軽信義知行加増
黒印状
なお、慶安元年(一六四八)閏正月十七日に弘前城中
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長十四年(一六〇九)八月六日、津軽信枚、家臣へ知行充行の
黒印状
を下付する。,●慶長十七年(一六一二)六月十二日、津軽信枚、服部勘助へ
黒印状
を下し、知行五百石を充行う。,●寛永三年(一六二六)四月六日、津軽信枚、家臣森山弥七郎へ
黒印状
を下し、青森の派立を命じる。,●寛永三年(一六二六)九月三日、津軽信枚、廣田太右衛門へ
黒印状
を下し、高百石を充行う。,●寛永十七年(一六四〇)十一月二日、津軽信義、津軽信隆へ
黒印状
を下し、知行五百石を充行う。
通史編2(近世1)
(知行宛行状の発給)
慶長九年十一月二十二日に、浄土真宗円明寺念西に高米一三石一合四勺歩米三斗九升を鰺ヶ沢にて渡すことを認めた為信の
黒印状
,この史料は弘前市に現存する同藩の
黒印状
としては最も古いものであり、四代藩主信政が延宝三年(一六七五)三月五日,図77.為信の念西宛
黒印状
これに比べると、二代藩主信枚(のぶひら)の発給した知行宛行状は多く
通史編2(近世1)
(浅利頼平の比内帰還)
天正十九年(一五九一)七月七日、早速独鈷村の肝入役(きもいりやく)として越山作内(こしやまさくない)を命じる
黒印状
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
佐賀県立名護屋城博物館蔵 14 同上 15 同上 16 東京国立博物館蔵 17 金沢市 尾山神社蔵 18 南部信直
黒印状
,74 南津軽郡浪岡町 浪岡八幡宮蔵 75 鉄砲之定 元和9年 弘前市立博物館蔵 76 津軽信義知行加増
黒印状
通史編2(近世1)
(伏見作事板の運上と太閤蔵入地)
特に、敦賀の道川三郎左衛門は、南部利直から慶長五年七月二日付
黒印状
によって船役の免許状を獲得し、領内のいずれの
通史編2(近世1)
(二代信枚の動向)
翌十四年からは、小知行や藩士をはじめ寺院へも知行宛行(あてがい)の
黒印状
の下付が行われた(同前No.二六三
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