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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(黒石津軽家の大名昇格)
黒石津軽家
の大名昇格 文化六年(一八〇九)四月、本家が一〇万石になって三ヵ月後、幕臣で四〇〇〇石の
黒石津軽家
,弘前津軽家は北方永久警衛を命ぜられ、一〇万石に昇格したが、知行四〇〇〇石で幕府寄合を勤めている分家の
黒石津軽家
/
黒石津軽家
の大名昇格
通史編2(近世1)
(津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)
黒石津軽家
とその分家は、本家である弘前津軽家に発給された領知宛行状にその領知高が明記されている。,たとえば寛文四年(一六六四)四月五日付の領知朱印状・領知目録においては、
黒石津軽家
の左京信敏分四〇〇〇,石、
黒石津軽家
の分家である一学信純(いちがくのぶずみ)家分一〇〇〇石とも本家である弘前津軽家の信政宛ての,
黒石津軽家
が大名となってから最初に発給された天保十年(一八三九)三月五日付の領知判物・領知目録の場合、,これは先の
黒石津軽家
の分家の断絶により知行地が収公されたため津軽郡内にできた天領(東馬場尻村・飛内村・
通史編2(近世1)
(弘前藩の副藩主)
副藩主 明暦二年(一六五六)、津軽弘前藩主四代信政の襲封(しゅうほう)に伴い、その後見役として発足した
黒石津軽家
,弘前津軽・黒石津軽両家の藩主系図をみて明らかなように、弘前津軽家から
黒石津軽家
へは、信政の五男が黒石四代寿世
通史編2(近世1)
(烏帽子山紛争)
平内は明暦三年(一六五七)以来
黒石津軽家
の領分とされていたが、
黒石津軽家
が内分分家であったため、紛争の
通史編3(近世2)
(能楽)
菊之間に藩主信政、
黒石津軽家
二代信敏、流罪で預人となっていた対馬藩元家老柳川調興(しげおき)、藩主の弟信章,十二月十一日には柳原中屋敷で、三代藩主信義の正室桂林院、土井利房へ嫁した姉万とその息女、
黒石津軽家
信敏
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
また
黒石津軽家
が成立する以前の史料であるためか、弘前から黒石に向かう場合は直通道路が記載されておらず、
通史編2(近世1)
(異国船の領内来航)
であったとき以来本藩である津軽弘前藩に握られていたが(第三章第二節一参照)、この折も、順承の指示を受けて
黒石津軽家
通史編2(近世1)
(支配機構の整備)
一六七五)に黒石領飛内(とびない)村など五〇〇石、上野国赤堀村など五〇〇石、計一〇〇〇石を分知し、ここに
黒石津軽家
通史編2(近世1)
(青森町の成立と青森開港)
また蜆貝町には「左京様御蔵屋敷」と記され、
黒石津軽家
の蔵屋敷が設置されていたことがわかる。
通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
黒石津軽家
との共同管理)の五つの地域区分に分けられていた。
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