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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (信政の襲封と黒石分知)

その結果、黒石領分二〇〇〇石、平内領分一〇〇〇石が打ち出された。,図87.黒石領内図(上)と黒石領平内之図(下)
通史編2(近世1) (隠津出・抜け米の取り締まり)

特に、黒石領との境界に当たる浅瀬石(あせいし)、廻米の積み出し湊である青森へ通じる鶴ヶ坂・柳久保(奥州街道,庄屋自らが炭俵に酒を入れて黒石領に運ぼうとして、摘発されたケースもある。,したうえに、取り締まり場所に比して人数が多く、在方では負担が重くかえって法令の趣旨に反するとされ、また分家の黒石領
通史編2(近世1) (厄介視される預手形)

しかし、通用しがたいのは本藩と同じで、黒石領に魚類が多く入り込むのに業をにやした藩庁は、預手形を使用しない,り引きがその原因として、手形を通用させない限りは、米穀はもちろん何の品でも弘前領からは販売しないし、黒石領
通史編2(近世1) (家臣団構成)

家臣団一六九人の名前が記され、さらに職人頭・庄屋・町年寄・用達商人などの扶持人二一人の名前が記され、黒石領
通史編2(近世1) (異国船打払令の発令と津軽弘前藩)

また黒石領分に触を伝達し立て札を立てるかについては、三奉行にはわかりかねるとして、決定を藩首脳部にゆだねたが,、結局この触を黒石領にも伝えるよう命じられた。  
通史編3(近世2) (抜参り)

西谷平兵衛日記」(青森県立図書館蔵)と平尾魯仙の「合浦(がっぽ)奇談」(弘図郷)には、嘉永四年(一八五一)に津軽黒石領
通史編3(近世2) (公娼と私娼)

両浜の遊女が温泉場へ出てくることは禁止されていたにもかかわらず、大鰐(おおわに)(現南津軽郡大鰐町)や黒石領
通史編2(近世1) (海防報告書にみる天保期の海防体制)

・十三・脇元(わきもと)(現北津軽郡市浦村)・上宇鉄(かみうてつ)(現東津軽郡三厩村)・野内・浅虫・黒石領田沢村,現同郡平内町)、浦番所が金井ヶ沢・小泊・平舘・内真部(うちまっぺ)(現青森市)・油川(あぶらかわ)(現同市)・黒石領土屋村
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

耕春院(現宗徳寺)と藤先寺(とうせんじ)に現存するところをみると、この前年に信政の後見役信英の所領となる黒石領
資料編2(近世編1) (【解説】)

における支配の根幹となる法令をまず掲げ、役職、軍役(ぐんやく)、家臣団の形成、家臣の払い米、地方知行、津軽黒石領
通史編2(近世1) (糧米確保)

米留番所のうち、浜松を除く三ヵ所が黒石へのルートに当たり、七月の津留政策とのかかわりでいうと、その目的は黒石領
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

しかし、このとき、弟の信純(のぶずみ)(一六五〇~一六七五)に黒石領飛内(とびない)村など五〇〇石、上野国赤堀村
通史編3(近世2) (信明の学校構想)

徳行をなさしむべし」との旨があり(「老譚」『記類』上)、その実現は末期養子の和三郎(九代藩主寧親、当時黒石領六代領主
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