機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 19件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編5(近・現代2)
(PTAの発足)
PTA
の発足 戦後の社会教育活動の一つに、
PTA
の結成と活動が挙げられる。,各校
PTA
が本格的な活動を開始しようとするとき、一校の
PTA
のみでは達成しがたい問題も多く、したがって,各校
PTA
の横の連絡が何よりも必要とされた。,会長は竹内文作(和徳小
PTA
会長)、副会長島口重次郎(第一大成小
PTA
会長)、神英造(時敏小校長)、監事竹内助之進,市連
PTA
は、発足直後から「
PTA
スクール」を各校持ち回りの輪番制で毎年開催してきた。 /
PTA
の発足
通史編5(近・現代2)
(市村合併後のPTA)
市村合併後の
PTA
昭和三十年三月弘前市と中津軽郡一一ヵ村の合併に伴い、市連
PTA
も中郡連合
PTA
の,一方、市連
PTA
も地域間の親睦交流活動を活発に行った。,市連
PTA
主催による単位
PTA
対抗野球大会および卓球大会など、合併以後も継続開催が決められ、スポーツ交流,さらに、市連
PTA
の青少年健全育成に関する活動もめざましいものがある。,昭和三十七年七月、市連
PTA
は単位
PTA
から選抜された中学生二人、小学生二人を対象として「子ども会指導者講習会 / 市村合併後の
PTA
通史編5(近・現代2)
(学校給食とPTA)
学校給食と
PTA
戦後、弘前市で学校給食が実施されたのは昭和二十二年一月からで、一大、二大、和徳、時敏,弘前市連
PTA
は、児童の健康教育の立場から学校給食の教育的意義を貫くため存続の意向を示し、給食委員会や,学校給食は、その後法律ができて制度化され、日本全土に広がっていくが、弘前市の学校給食に対する
PTA
の尽力 / 学校給食と
PTA
通史編5(近・現代2)
(桔梗野小学校の創立)
朝陽小学校
PTA
は二十四年一月二十四日臨時総会を開催して、仮称第二朝陽小学校新設に関する対策協議を行ったが,このころから校名の変更が
PTA
の話題に上るようになり、アンケートにより所在地を採って「桔梗野小学校」に,改称、
PTA
臨時総会に提案したところ満場一致の賛成を得て、市当局に届けた。
通史編5(近・現代2)
(学校給食の開始)
ミルク給食が開始され、そのため給食室の設置が必要となったが、これら施設は学校後援会や戦後新しく設けられた
PTA
,〇〇〇円をもって給食調理室を建設し、給食施設優秀校として県から表彰されているが、その費用の大部分は同校
PTA
,市内各小学校とも学校給食施設の完備には、ほとんど関係
PTA
の援助によるところが大きかった。
通史編5(近・現代2)
(第二回社会教育大会)
第一日目 図書館・公民館・民主団体・青年団・婦人会・
PTA
第二日目 放送教育と視聴覚教育・新学制実施,行政担当者をはじめ
PTA
、青年団体、婦人団体など、これらの集会を通じて新しい社会教育に対する認識を深めていったのである
通史編5(近・現代2)
(第一回小学校連合体育大会)
主催は弘前市教職員組合小学校部と弘前市連合
PTA
で、弘前市教育委員会が後援した。,そのうえ、大会開催計画が急に出されたため大会資金の捻出に困り、弘前市教職員組合と弘前市連合
PTA
に資金,を提供してもらうことになり、したがって、主催は市教組と連合
PTA
という変則的なものになった。
通史編5(近・現代2)
(承祜公のミイラ)
須郷洸太郎校長は、
PTA
と同窓会の同意を得て弘高建設委員会を組織した。
通史編5(近・現代2)
(朝陽小学校校舎新築落成)
朝陽小学校校舎新築落成 昭和二十四年十一月十一日、朝陽小学校
PTA
は、公会堂大広間において朝陽小学校復興協議会
通史編5(近・現代2)
(文京小学校の創設)
自由学区の児童数は六〇四人に上り、松原小学校
PTA
は三十六年八月、自由学区解消を市教委に陳情していた。
通史編5(近・現代2)
(弘前中央高校の環境整備)
式典では、弘前中央高校八十年の歴史を中心とした高谷勝敬校長の式辞に始まり、旧校歌の合唱され、歴代校長・
PTA
通史編5(近・現代2)
(弘前との因縁)
これには、前出の木村隆三の兄が同校
PTA
会長を務めていたことが力になったと思われるが、前川は早速同校を
通史編5(近・現代2)
(盲聾学級の設置)
しかし、同学級
PTA
の工藤孝吉が私財をなげうって教具を寄贈し、弘前市最初の盲聾教育はようやく軌道に乗り
通史編5(近・現代2)
(柴田女子高校の繁栄)
に創立六十周年記念式典を挙行したが、創立者柴田やすが確立した建学の精神は脈々と息づいており、教職員、
PTA
通史編5(近・現代2)
(戦後の佐藤正三)
は県一位となり、また、市制施行七十周年の記念事業として『弘前市史』編纂事業に着手、社会教育課長時代は
PTA
通史編5(近・現代2)
(終戦直後の東奥義塾)
従来の父母会は発展的に解消して
PTA
に代わった。しばらく中絶していた毎日の礼拝も復活した。
通史編5(近・現代2)
(市立商業高校と市立女子高校)
って取得のための糸口をつかみ、次に市長と直接交渉した結果、ついに買収させることに成功すると、さらには、
PTA
通史編5(近・現代2)
(第一、第二大成小学校の統合)
それを受けて市教委は、両校
PTA
、両校学区内各町会、あるいは同窓会等に木目細かな事情説明を加えて、両校統合
通史編5(近・現代2)
(弘前工業高校の動向)
老朽化した雨天体操場しかなかった弘工では、早くから体育館の建設が渇望されていたが、
PTA
、同窓会が一体
/ 1ページ