鳥海柵落ちる

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そして同月十一日には、ついにかの鳥海柵に頼義らが入ることとなった。安倍軍の残した醇酒(かたざけ)を全軍で飲み乾して万歳との声が挙がるなか、頼義は武則に、「この柵の名は聞いたことがあるが、その全貌を知ったのは初めてである。これも武則の忠節のおかげである」と語ったという。
 先にも触れたが、鳥海柵は、鎮守府胆沢城と目と鼻の先である。頼義は胆沢城には何度も来ていたのに、この鳥海柵にはこれまで入ったことがなかったらしい。生前の頼時の用意周到さ、したたかさがなせる業であろうか。