目次
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新編弘前市史 通史編1(古代・中世)
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第3章 古代蝦夷の時代
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第五節 謎の一〇・一一世紀
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四 俘囚長安倍氏と津軽・糠部
鳥海柵落ちる
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そして同月十一日には、ついにかの鳥海柵に頼義らが入ることとなった。安倍軍の残した醇酒(かたざけ)を全軍で飲み乾して万歳との声が挙がるなか、頼義は武則に、「この柵の名は聞いたことがあるが、その全貌を知ったのは初めてである。これも武則の忠節のおかげである」と語ったという。
先にも触れたが、鳥海柵は、鎮守府
胆沢城
と目と鼻の先である。頼義は
胆沢城
には何度も来ていたのに、この鳥海柵にはこれまで入ったことがなかったらしい。生前の頼時の用意周到さ、したたかさがなせる業であろうか。