
写真107 三七日山阿弥陀堂
(秋田県西木村・現大国主神社)
先にも触れたとおり、それぞれの内容は微妙に異なっている。『初七日山釈迦堂略縁起』『羽州秋田郡土崎湊納坂二七日山光明寺御本尊釈迦如来並寺之縁起』では、唐糸は「鎌倉金沢の浜」から「空船(からぶね)」に乗せられて流され、「津軽外カ浜」へ漂着して修験者(山伏)に助けられ、その妻となっている。やがて時頼が諸国巡検の折に「津軽藤崎湊」へ立ち寄り、そこで唐糸と再会するが、唐糸は書き置きを残して「烏カ池」に身を投げてしまうとある。『三七日山阿弥陀堂略縁起』(写真108)では、時頼が「諸国執行をして天下の善悪」をみるために廻国に出たあと、唐糸は「邪婬」のいいがかりをつけられて、「空舩」に乗せられて鎌倉の海中に追放されたという。たまたま奥州津軽へ下っていた時頼が、浜辺に流れ寄せた「空舩」を見つけると、そこにすでに息絶えた唐糸が乗っていたという。また人見蕉雨の『余腍録』には、二七日山光明寺を建てたのは「のしろ湊」であるともみえている。

写真108 三七日山阿弥陀堂略縁起