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写真118 北条泰時書下状
また嘉禎三年の「北条泰時袖判下文」(史料五六一)で「夫沙弥西心」の嘉禎二年の譲状に任せて一期分として岩楯村地頭代職を安堵された「伊豆田所女房」なる女性がいるが、西心(写真119)は惟重の法名であるから、伊豆田所女房はその夫人である。このことは弘安七年(一二八四)の「平祐行請文案」(岩手大学新渡戸文書)に、伊豆国安富郷国吉名内田所免田が曽我泰光(曽我系図で惟重の孫)の祖母の遺領とみえることからも、伊豆田所女房が泰光祖母であってすなわち惟重の妻(したがって西心=惟重)であることが確認できる。
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写真119 西心碑
(大鰐町)