光弘の子が余(与)一左衛門尉泰光である(史料五九五~五九九ほか)。曽我系図では「童名犬二郎」とあるが現存の文書では確認できない。泰光の妻は、高麗氏出身の蓮阿(れんあ)の女子慈照(じしょう)である(遠野南部家文書・正慶二年〈一三三三〉)。慈照は「石黒系図」(宮崎文書・史料一一四八)に、弥四郎頼綱の「女子・讃岐局・法名慈照」と見え、高麗氏の女系系図(史料一一五〇・遠野南部家文書)にも「女子・讃□ □・曽我余一(左衛)門尉妻」と見える女性で、この高麗氏の系図では、その母を「女子・字土用弥・蓮阿・□□・石黒弥四郎之妻」とし、その蓮阿の父は高麗二郎左衛門尉景実であるとされている。また景実とは、宝治二年(一二四八)の「かけさね譲状」(新渡戸文書)で「むすめとよいや御せん」に所領を譲与した人物である。