慶応期の学問所

598 ~ 599 / 767ページ
慶応二年(一八六六)十一月、次いで同三年正月に学問所の規則が改定された(同前No.三二三)。寛政期の入学規則と比べて特徴的な点は、「別会生」という形で五〇〇石以上の高禄者の嫡子に対する個別の教育を図ったこと、怠惰な学生に対する停学もしくは退学の規定を盛り込んだことである。入学資格を緩和して庶民にまで教育対象を広げるというのではなく、どこまでも藩エリートを養成する少数精鋭の教育方針が貫かれている。また、奏楽・諸礼の教科が取りやめとなり、蘭学が奨励されている点は、時代の要請を反映している。