教科と教科書

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教科のことを当時は課業といった。下等・上等の課業は左のとおりである。課業のほとんどが文字を覚えさせることに集中しているのは、文盲八割(本県では九割と言われた)という当時の世相の反映であろう。文部省は識字力の向上を教育目標の一つとしていた。
 下等小学課業
綴字(カナヅカヒ) 習字(テナライ) 単語(コトバ) 会話 読本 修身口授(ギョウギノサトシ) 書牘(ショトク)(手紙) 文法 算術 養生法 地学大意 理学大意 体術 唱歌(注、唱歌については、教材、教師ともそろわなかったので、当分の間課業としなくてもいいとされた)

 上等小学課業
  下等小学の課業目に左を加える
  史学大意 幾何学罫(けい)画大意
  博物学大意 化学大意
  土地の情況により記簿法 画学 天球学 外国語を加ふることを得
 右の課業を効果的に教えるため、県による課業表(教科カリキュラム)が定められた。しかし、白銀・和徳両校とも開校時の生徒たちの学力差が甚だしいため、教科を課業表に従って教授することができなかった。結局「読み・書き・算」の三科を教授するだけということになった。読みは国語、書きは習字、算は専ら算盤(そろばん)の稽古である。
 教科書は『西洋事情』『算比例』『天変地異』『窮理図解』『世界商売往来』『日本提要』『地球説略』などが使用された。これらの読みを教え、わけを説くだけだから、新知識がどれだけ身についたか、すこぶる疑問がある。また、教科書は学校備え付けで生徒一人ひとりは所持していなかった。

写真54 教科書として使用された『西洋事情』『窮理図解』『地球説略』