織物の商況

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同日の報告に織物の輸出について記されている。それは次のものである。これによれば、各種織物製品のうち、武田機業所が製造した黄八丈は県外に移出されたものの、地織木綿や各種木綿は県内各地で販売されていた。
織物ノ輸出 本市大字相良町武田機業所ニ於テ織出シタル黄八丈ハ、明治十年頃ヨリ東京地方ヘ僅々輸出アリシカ、仝十五年ヨリ販路稍々開ケ以来、年ヲ追ヒ盛大ノ商勢ナルカ、本年一月ヨリ六月マテ輸出シタル数量ハ、五百十三反ニシテ、其価格壱千四百参拾六円四拾銭ニ達シタリ、尚ホ将来盛業ヲ計ラハ、漸次多額ノ輸出ヲ見ルニ至ラン、又在府町竹内蚕業所ニ於テ織出シタル地織木綿ハ、明治十九年ヨリ当管内津軽地方ヘ僅少ノ輸出アリシカ、年増販路盛大トナリ、本年一月ヨリ六月マテ輸出シタルハ、管下北津軽郡板屋野木地方ヘ、数量三百八十反、其価格参百九拾九円、仝郡五所川原地方ヘ、数量ハ二百反、其価格弐百拾円ニシテ、爾後益々改良精撰ニ注意シタランニハ、漸次多額ノ輸出ヲ見ルニ至ランカ、尚ホ昨年中呉服商店ノ委托ヲ受ケ、大凡三百戸ニ於テ織出シタル木綿ハ、概算弐万四千反、其価格弐万五千弐百円、其他玉紬百八十九反、其価格四百四拾四円拾五銭ニ達シ、専ラ地方ノ需用ニ供スルヲ以テ、追々管外輸入ヲ減少スル景況ナリ
(同前)

 織物の生産や購入のあり方は、地域の農工分離の進展度を示すが、県外と並んで、津軽地方各地への販売が進んでいた。津軽地域の購買力の上昇が知られる。