弘前無尽会社の発展

126 ~ 126 / 965ページ
弘前無尽株式会社は、実質的経営者である専務の唐牛敏世の指導力により発展していった。昭和十三年(一九三八)七月の『青森県評論』に「旭日昇天の弘前無尽」と題し、弘前無尽が躍進し続ける理由が、「弘前無尽が今日の隆昌を招来した所以のものは、一つに其経営に当る重役に其人を得た結果であつて、就中社を代表する唐牛敏世専務の方針は常に加入者第一主義をとつて、加入者の利益の前には全社員と共にあらゆる困苦欠乏にたへるといふ確固不抜の社是を以て経営に当つている結果に外ならない。唐牛専務の挨拶に『世間の絶対的信頼の中に加入せられている各位のその尊い信頼を裏切り、加入者即ち預金者に損失を被らしむる事ありとせば、只単にその預金者に対する問題のみならず、この事たるや社会風教上由々しき重大問題である』と語つている。以上、同氏の挨拶によつて弘前無尽の経営方針の全面を簡単、かつ明瞭に察知し得るであらう。」(資料近・現代2No.二〇八)と述べられている。
 昭和に入ると、県内無尽業者は全五社のうち、盛融・青森・東奥無尽の三社が経営破綻に陥った。そして、昭和十七年、戦時下金融統制の下で、弘前無尽は津軽無尽を合併し、県内唯一の無尽会社となった。