昭和二十二年四月三十日、戦後第一回の県議会ならびに弘前市議会議員の選挙が行われたが、青森師範学校附属小学校教官工藤為弥(当時二十九歳)は現職のまま弘前市議会議員選挙に立候補、三六六票を獲得して第二五位で当選し、教員と市議会議員を兼職することになった。現職教員が議員になることなど、前代未聞の出来事だったので、世間は驚きの声を上げた。当時教員は各種選挙に立候補することも選挙運動をすることも、全く自由であった。それだけに、今回の選挙に教員で立候補したのは県内で数人あったが、当選して議員として活躍したのは工藤ただ一人であった。議員としての工藤は六・二制の徹底や学校給食の完全実施などについて熱弁をふるい、市議会に学校現場の意向を反映させた。
しかし、政治情勢の変化に伴い、昭和二十四年八月に至って、政府は学校教員の現職のままの立候補ならびに兼職を禁止したため、工藤は市議会議員を三年六ヵ月務めただけで、二十四年九月末をもって辞職した。