昭和二十三年九月三十日、弘前市立第一中学校佐藤のぶ教諭は、中津軽郡藤代村立(現弘前市立)三省小学校長に任命された。県内女性校長として二番目で、中弘管内では最初のことであった。
佐藤校長の出現は、戦後の民主教育と、男女同権を具現したものとして歓迎され、新聞もまた好意をもってこれを迎えた。ことに女子教員に管理職の道を開いた事実は、これまで男子教員の補助的立場に置かれた観のあった女子教員に希望を与えるとともに、自覚と奮起を促す要因ともなった。
佐藤は往事を回想して「学校の主要努力目標に音楽と社会科をかかげましたが、先生方はみな一生懸命で、郡下研究会でほめられたこともありました。女校長だというので先生方は特に頑張ってくれたようです。また女校長経営の学校はどんなものかと、県下から視察する人が大勢あって、それも励みになりました」と語っているが、戦後、男女同権の世の中になっても、女性校長が特異な存在として見られたことがわかるであろう。