かねてから就職希望者に対する技能指導の必要性を重視していた山辺将二郎第三中学校長は、昭和二十五年、学区内の今泉木工所の協力を得て、校内に木工用機械を設置し、職業指導の一つとして「学校工場」の運営を考えた。西校舎の奥の一教室を充て、昇降機、万能機、丸のこ、帯のこ、自動かんな、手押しかんななどの木工機械を据え付けたが、いずれも本格的なものばかりで、まさに「学校工場」の名にふさわしいものであった。
写真132 第三中学校「学校工場」
就職希望者に対する職業科指導のための、施設や機械の設備が十分でなかった当時、「学校工場」が各校の注目を浴びたのは当然のことである。進学組に比し、とかく意欲を失いがちな就職組にとって、この「学校工場」での実習は、その学習意欲を高める上でも大きな効果があった。市内各校合同の工作展では、本立て、本箱、棚などの作品を展示し、他校と段違いのその技術を披露して参観者を驚かせるなど、三中の職業指導は学習効果を大いに上げるのだが、運営面で多少問題があり、やがて閉鎖されることになる。しかし、当時における三中の「学校工場」の職業技能指導は、各校の職業科教育の充実に大きな刺激となった。