日魯漁業の進出

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北洋漁業資本最大手である日魯漁業は、高度経済成長期になると総合食品への多角経営を目指し、広島、山形、久里浜、札幌、川崎など全国各地に食品加工場を建設するが、本県においてもりんごを原料とした各種加工製品の生産を計画する。
 昭和三十五年(一九六〇)三月に日魯漁業の営業課長が来県し、工場建設について事前調査を行ったが、その際に弘前と浪岡が工場建設地の候補となった。その後、工場誘致に向け両候補地間で競争が繰り広げられるが、結局、弘前市に決まった。弘前工場の建設費は一億六千万円で、弘前市清水富田桔梗野(現清水二丁目)の工場建設用地の買収は弘前市が補償料の形で四九〇万円を負担した。三十六年十月七日に日魯漁業弘前工場の落成式が盛大に行われ、本工場は二十三日から本格的な操業を開始した。従業員は工員一七五名にボイラーマン、警備員、運転者、一般事務職員などを含め、総員ニ一五名であった。工員は全員地元採用であり、本市にとって大きな雇用効果をもたらした(『東奥日報』昭和三十五年、三十六年日魯漁業関連記事より)。

写真168 日魯漁業弘前工場


写真169 日魯漁業弘前工場操業状況(『陸奥新報』昭和36年11月5日付紙面)