第五中学校開校

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昭和四十一年(一九六六)四月一日、豊田中学校堀越中学校の統合による弘前市立第五中学校が開校した。名目統合のためまだ校舎はなく、豊田校舎と堀越校舎の二つに分かれて発足した。生徒数五九五人、教員数二四人、一六学級、初代校長の成田七郎は、豊田中学校長から就任した。
 生徒の間にはよい意味での豊田・堀越の競争意識はあったが、対立意識はほとんどなかった。これも対等合併の利点であろうか。
 第五中学校の新築工事は、昭和四十一年十一月から始まり、同四十二年十二月には二期工事が完了、翌年一月には旧校舎から移転した。また、四十三年十二月には、当地方で初めてというピロティ式鉄筋コンクリート屋内体育館(一階が土間で二階が通常の体育館になっている)も完成、施設面でも一層の充実をみた。