そのような話し合いの中から、昭和五十二年(一九七七)、部活動の充実・強化を図るための五ヵ年計画が策定され、体操、バレーボール、ソフトボール、バトミントンの各部を強化指定部として、県下での優勝など具体的な目標を掲げた。このための方策として、活動施設の整備のほか、スポーツ特待生制度が設けられ、五十二年から毎年二〇人の特待生が入学を許可され、五年後の明朗旗(女子総合優勝)獲得へ向けて始動することになった。
特待生を軸に各運動部は着々と成果を上げ始め、もともと強かった体操競技はもはや他校に優勝を譲る気配がなく、昭和五十五年、ソフトボールが初優勝を飾り、バドミントンとバスケットボールが準優勝を遂げ、友情旗(総合準優勝)を持ち帰るところまで来たものの、常勝青森西校の壁は厚かった。このようななか、特待生制度の見直しも議論となったが、継続とされるに及び、六十一年、ついに悲願の明朗旗を獲得することになった。折しも創立百年を迎えた記念すべき年であった。
写真203 聖愛高校 初の明朗旗獲得
なお、こうした運動部の活躍に刺激されるように、応援団も従来のバンカラ風を一新してチアガール・スタイルとし、清楚で溌刺とした応援法と華麗なダンスを創造して観客の目を瞠(みは)らせるとともに、県内高校女子応援活動に新風を吹き込んだ。