便利な生活の代償

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ゴミの分別収集が全国的に始められて、すでに久しい。時代が下るにつれ、ゴミも質量ともに増大し多様化している。資源回収や公害が問題化するにつれ、ゴミの分別収集が義務づけられるようになった。黒いビニール袋にゴミを詰め込んでいた時代、燃えるゴミと燃えないゴミの分別だけだった時代、それもすでに懐かしいと思っている人々も多いだろう。
 かつては全国的に見ても、ゴミを細かく分別して捨てるなど、話題にもならなかった。だが現在は全国各地で分別合戦と思われるほど、分別事業の盛んな市町村が多い。弘前市も全国的レベルからみれば、他に誇れるほどゴミの分別が細分化されている。それだけ市当局をはじめ、市民のゴミ対策が徹底されている証拠であろう。だが、かつての弘前市は現在の状況とは比べものにならないような衛生状態にあったのである。
 もちろんこれは弘前市に限ったことではない。高度経済成長の影響で市民生活が便利になった半面、公害を象徴とするさまざまな弊害が起きたことは周知の事実である。その一つにゴミ処理問題がある。生活が便利になるにつれゴミが大量に発生し、その処理に関する対応は後回しにされた。市中にゴミがあふれかえり、悪臭が発生して市民から苦情が寄せられる。けれどもそのゴミを出し、排水を出すのも同じ市民である。誰もが便利な生活に慣れるにつれ、ゴミや排水の処理を忘れてしまい、結果的に公害問題を発生させた。それが人体に悪影響をもたらすようになって、初めて衛生対策の必要性を痛感するのである。高度経済成長を通じて衛生問題で悩んだ弘前市も、それ以後の対応に苦心した結果、清潔な街づくりへ努力していったのである。