飛躍の年を迎える

819 ~ 820 / 965ページ
三十九年は紅緑の飛躍の年となった。十月、最初の脚本「侠艶録(きょうえんろく)」が本郷座で上演され、大当たりとなる。勢いを得た紅緑は次々と脚本を書き、一躍新派の人気劇作家となった。
 四十一年ごろ、秋田雨雀の紹介で福士幸次郎が紅緑の書生となる。以後、二人は終生にわたってその深い絆で結ばれることになる。そのことは、紅緑の末娘・佐藤愛子(さとうあいこ)の『花はくれない』(昭和四十二年 講談社刊)や『血脈(けつみゃく)』全三巻(平成十三年 文藝春秋社刊)で詳細に知ることができる。
 四十三年に「東京毎日新聞」に連載した「地上」あたりから大衆小説に転じた紅緑は量産態勢に入る。しかもいずれも大ヒットの人気であった。
 しかし、私生活では女優横田シナ(改名後・三笠万里子)との出会いから、しだいに家庭が乱れ、大正六年ごろから佐藤家の崩壊が一気に進む。一方で、作家として名声は高まり、郷土の後輩で「少年倶楽部」編集長、加藤謙一(かとうけんいち)の勧めで少年小説、少女小説を世に問うことになり、紅緑は流行作家としての不動の地位を確立したが、その生涯はまさに波瀾(らん)万丈そのものであった。末娘愛子は「普通の人の少なくとも五倍の人生を生きた人だと思う。それほど波瀾が詰まっている」と述べている。