二 近代文学の成立(大正の文学)

822 ~ 823 / 965ページ
 大正期の本県の文壇は、いわゆる大正デモクラシーの影響を受けつつ、地方性回復の気運を高め、近代文学の基礎を固めた時期であった。短詩型文学はもとより、小説、評論などの分野での隆盛ぶりも目立つ。中央文壇で活躍する本県出身の作家はもちろん、地元を舞台に文学の活性化を図った文学者も注目に値する。
 すでに明治期に興っていた理想主義(人道主義)は、四十三年の大逆事件以来の厳しい弾圧で潰(つい)えたかのようにみえたが、大正二年に本県を襲った大凶作によって再燃した。大正八年創刊の総合雑誌「黎明(れいめい)」は文字どおり青森県の文学の夜明けを目指した。主宰者淡谷悠蔵(あわやゆうぞう)(明治三〇-平成七 一八九七-一九九五 青森市)は後年衆議院議員を長く務めた政治家としても著名であるが、大正期に残した業績はきわめて大きい。「黎明」はいくつかの同人雑誌を統合し、従来の短詩型文学から散文に重点を移動したところに特徴がある。また、淡谷が同誌に「郷土芸術論」(大正九年~十年)を連載し、真の郷土芸術の意識と地方に生きる文学者の使命を力説したことも功績の一つである。
 大正期は新理想主義、社会主義思潮が定着していく時期でもある、九年(一九二〇)創刊の「胎盤」は秋田雨雀(前出)や鳴海完造(なるみかんぞう)(明治三二-昭和四九 一八九九-一九七四 黒石市)らによって、純然たる評論、小説の総合雑誌として創刊された。雑誌の基調はロシア文学の影響が濃厚で社会主義的傾向を深め、人道主義派と対立していく。鳴海は雨雀とともに後にソ連革命記念一〇周年記念祭に招待されている。