少年小説の金字塔

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紅緑がすでに新聞小説家として流行作家であったことは、すでに述べた。大正に入ってからも各種新聞に小説を次々と発表し、多くの読者を魅了していた。特に、大正十年(一九二一)に「東京毎夕新聞」に連載した「大盗伝」は大好評を博し、発行部数一六万部を倍増させたという。
 そして、昭和二年(一九二七)五月から「少年倶楽部」に紅緑が「あゝ玉杯に花うけて」を連載するや否や、全国の少年を興奮の坩堝(るつぼ)と化したという。全国から投書が殺到し、「少年倶楽部」の年間発行部数は一気に三〇万部から四五万部に跳ね上がった。児童文学史上、画期的な出来事であり、少年小説の金字塔と評価された。貧しい少年が刻苦勉励して、天下の秀才を集めた第一高等学校へ入学するまでの物語の展開に、少年たちは興奮し、「紅緑先生」と呼んで尊敬した。

写真252 『あゝ玉杯に花うけて』