北辰堂規則

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明治十六年九月八日に設立された北辰堂の沿革(資料近・現代1No.七七二)によれば、明治維新後の弘前は撃剣の道がにわかに衰微し、士風も頽廃(たいはい)する傾向があり、しかも、特に学生の風紀が乱れがちであった。
 そのことを憂いた有志が禍(わざわ)いを未然に防ぐために「学術研究ノ目的ヲ以テ我が四部内、即チ若党町ヲ中心トシテ一ノ学生団ヲ組織シ、之ヲ螢雪社卜号セル一団体アリシカバ、遂ニ之ヲ総括シテ当市笹森町二十九番地ニ新タニ、一ノ文武講習場ヲ設立シ、北辰堂ト号セリ」とある。そして、文武の講習に参加したのは小野派一刀流、梶派一刀流、卜伝流の三団体で、総員数は一二〇人であった。