蝦夷・津軽・奥羽関係

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No 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 約三五~二五万年前 先岩木火山の噴火活動が発生(十面沢小丘群・兼平石・溶岩円頂丘群が形成)。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p33
2 約二〇~二五万年前 古岩木山の噴火活動(馬蹄形カルデラの形成)。
3 おおむね二〇万年前 再び古岩木山の噴火。カルデラ内を埋積するように新岩木火山体が形成。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p40
4 旧石器時代 氷河期が訪れ、津軽海峡の水位が下がり、三本の陸橋ができる。
5 旧石器時代 ナウマン象・アオモリ象・オオツノジカ・ヒグマ・ニホンシカ・原牛などの化石骨が出土(七戸町・小川原湖岸、東通村の石灰岩地帯)。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p301
6 旧石器時代 弘前盆地では、扇状地が形成・拡大。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p12
7 旧石器時代 二万年前頃、ナイフ形石器などを用いた生活が始まる(大森勝山遺跡、東通村物見台遺跡、外ヶ浜町大平山元Ⅲ遺跡、三沢市淋平遺跡、東北町長者久保遺跡など)。
8 縄文時代・草創期
(一万二〇〇〇
~九〇〇〇年前)
土器の製作が始まる(外ヶ浜町大平山元Ⅰ遺跡、六ヶ所村表館遺跡、八戸市是川鴨平遺跡など)。
9 縄文時代・草創期
(一万二〇〇〇
~九〇〇〇年前)
新岩木火山体の頂上部で崩壊、陥没(外輪山の形成)。その後の噴火で御倉石火口丘および岩木山(狭義)が形成。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p44
10 縄文時代・早期
(九〇〇〇
~六〇〇〇年前)
ムラが存在し、太平洋岸に貝塚がつくられ始め、モリや釣針など骨角器も使用(八戸市日計遺跡、同見立山遺跡、三沢市早稲田貝塚など)。
11 縄文時代・前期
(六〇〇〇
~五〇〇〇年前)
東北北部中心に円筒土器文化が繁栄(青森市三内丸山遺跡、六ヶ所村富ノ沢遺跡、つがる市石神遺跡、七戸町二ツ森貝塚など)。
本文参照ページ】: 通史編1(自然・原始)p311
12 縄文時代・前期
(六〇〇〇
~五〇〇〇年前)
気候が温暖化、縄文海進が起こり、豊かな自然環境が出現。
13 縄文時代・中期
(五〇〇〇
~四〇〇〇年前)
円筒土器文化が引き継がれ、この頃、三内丸山文化が最も繁栄。後半には、東北南部の大木式土器文化が北上。
14 縄文時代・後期
(四〇〇〇
~三〇〇〇年前)
十腰内文化が出現。環状列石、配石遺構、石棺、甕棺などがつくられる(十腰内遺跡など)。
15 縄文時代・晩期
(三〇〇〇
~二三〇〇年前)
亀ヶ岡土器文化が繁栄。呪術的な土偶などが出土(つがる市亀ヶ岡遺跡、八戸市是川中居遺跡など)。
16 弥生時代
(約二三〇〇年前~)
砂沢遺跡で水田稲作農業始まる。
17 弥生時代
(約二三〇〇年前~)
田舎館村垂柳遺跡でも大規模な水田経営。
18 古墳時代 小氷河期の気候寒冷化により稲作農耕が後退、東北地方北部では、食料採集が生活基盤の続縄文文化が南下(続縄文文化と南からの古墳文化の両者の混交文化形成)。
19 斉明元年七月 655/7 難波宮にて津軽の蝦夷六人に官位が与えられる。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p45
20 斉明四年四月 658/4 大和朝廷の阿倍比羅夫、齶田の蝦夷を征し、協力した淳代・津軽二郡の郡領に冠位授ける。
21 斉明五年三月 659/3 阿倍比羅夫、船一八〇艘(?)を率いて渡島を討ち、郡領を置く。
22 斉明五年 659 遣唐使が蝦夷男女二人を唐の皇帝に献じる。
23 斉明六年三月 660/3 阿倍比羅夫、船二〇〇艘(?)を率いて粛慎を討つ。
24 和銅元年九月 708/9 律令国家により、越後国に出羽郡が建郡。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p76
25 和銅五年九月二十三日 712/9/23 出羽郡を出羽国とする。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p77
26 養老四年 720 渡島津軽の律司従七位上諸君鞍男ら六人を靺鞨国へ派遣。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p77
27 神亀元年 724 この頃、律令政府により多賀城が築かれる。
28 天平五年十二月二十六日 733/12/26 出羽柵を秋田に移す。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p81
29 天平宝字四年 760 雄勝城、桃生城造営。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p82
30 神護景雲元年 767 伊治城造営。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p83
31 宝亀五年七月 774/7 海道蝦夷が桃生城を焼き討ち、律令国家との三十八年戦争へと突入。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p83
32 宝亀一一年 780 蝦夷の首長伊治公呰麻呂、俘囚の軍を率い、伊治城を攻め、多賀城を焼き討つ。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p84
33 延暦八年 789 阿弖流為の率いる蝦夷軍、征夷軍を破る。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p87
34 延暦二〇年九月二十七日 801/9/27 坂上田村麻呂、征夷を奏上。胆沢城(八〇二年、この年、阿弖流為、同族五百人と共に投降)・志波城(八〇三年)を築く。
35 延暦二〇年 801 この頃、岩木山神社・和徳稲荷神社、胸肩神社、鬼神社が開山したと伝えられる。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p344
36 大同二年 807 熊野奥照神社開山の年と伝えられる。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p345
37 大同五年 810 厳鬼山神社開山の年と伝えられる。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p345
38 弘仁二年 811 征夷大将軍文室綿麻呂、俘囚の軍を利用し、爾薩体(岩手県北西部から青森県東南部地域)・閉伊の蝦夷を平定(三八年戦争の終結)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p94
39 九世紀頃年 830 平川市李平下安原遺跡・黒石市浅瀬石遺跡・大釈迦川流域遺跡(稲作主体の大規模集落)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p106
40 九世紀後半頃年 860 下恋塚遺跡(竪穴住居、堀立柱建物、外周溝)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p108
41 九世紀後半頃年 860 青森市松元遺跡・野尻遺跡。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p106
42 元慶二年三月 878/3 国司の苛政に抵抗し、蝦夷の反乱(出羽元慶の乱)起こる。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p100
43 元慶二年 878 持子沢に登窯が築かれ、須恵器が生産される(五所川原窯跡群)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p108
44 延喜一五年七月 915/7 十和田火山噴火し、出羽に火山灰。農作物に被害。
45 天慶二年四月 939/4~
941
俘囚による出羽天慶の乱始まる。北方の異類も反乱に加わるという(~九四一)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p142
46 天暦元年 947 狄坂丸の乱。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p146
47 十世紀中葉から
十一世紀初頭
950 鰺ヶ沢町杢沢遺跡(鉄生産)。
48 永承六年 1051~
1062
前九年の役始まる(~一〇六二年)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p154
49 十世紀後半から
十一世紀
1060 荼毘館遺跡・小友遺跡・石川長者森遺跡(竪穴住居群を空堀などで区画)。
本文参照ページ】: 通史編1(古代・中世)p118
50 延久元年 1069 延久蝦夷合戦(朝廷による北方蝦夷征討戦)起こる。
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