No |
年月日表記 |
西暦 |
できごと |
備考 |
1
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慶応四年三月十七日
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1868/3/17
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神仏分離令公布。
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2
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慶応四年閏四月三日
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1868/4/3
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藩士に惣髪を許す。
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3
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明治二年七月九日
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1869/7/9
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兼松石居、佐々木元俊宅にて箱舘港の写真を見る。
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4
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明治二年七月
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1869/7
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最勝院、社家頭を免ぜられ、八幡宮の小野若狭・熊野宮の長利薩摩、社家取扱となる。
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5
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明治二年七月
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1869/7
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津軽直記邸に藩校・英学寮に設ける。
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6
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明治二年十月
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1869/10
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旧藩主の行列に際し、往来の制止および門戸・店舗を閉じて謹粛する旧慣を廃止する。
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7
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明治二年
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1869
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藩士の間に惣髪行われる。
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8
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明治三年二月二十四日
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1870/2/24
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薬王院を学寮とする。
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9
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明治三年五月二十八日
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1870/5/28
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宇和野に招魂堂を建立。九月七日、招魂祭を行う。
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10
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明治三年七月四日
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1870/7/4
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門閥にかかわらず藩校への入学を許可。
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11
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明治三年九月二十三日
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1870/9/23
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菊池九郎ら四人に東京・鹿児島留学を命ずる。
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12
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明治三年十二月十三日
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1870/12/13
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薬王院学寮を漢学寮に改め、別に英学寮を最勝院に設ける。
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13
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明治三年十二月二十七日
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1870/12/27
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薬王院漢学寮を廃し、最勝院に統合。
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14
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明治三年
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1870
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この年、牛肉鳥肉店出現、ランプ使用も始まる。
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15
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明治四年一月二日
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1871/1/2
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藩校に代えて敬応学舎開設、英学・漢学寮設置、青森に英学寮設置を告諭。
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16
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明治四年一月二十四日
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1871/1/24
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弘前白銀町に医学寮開設、藩校から分離独立(二月二十五日、医学校と改称する)。
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17
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明治四年一月二十四日
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1871/1/24
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四民等差のない養子・結婚の自由を許可。
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18
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明治四年八月二十七日
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1871/8/27
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青森英学寮を閉鎖。
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19
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明治四年九月二日
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1871/9/2
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旧藩の藩費留学生を廃止。
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20
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明治四年九月十九日
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1871/9/19
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医学校廃校。
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21
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明治四年九月
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1871/9
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敬応学舎を廃止。
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22
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明治四年十一月二十七日
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1871/11/27
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県、正月の門松廃止を布令。
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23
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明治四年十一月
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1871/11
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旧藩の各鎮守・郷社、昇格を上申。
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24
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明治四年
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1871
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この年、写真術が弘前に入る。田井晨善が弘前で開業。
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25
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明治四年
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1871
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この年、弘前八幡宮小野磐根、「藩内神社調」を藩庁へ提出。
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26
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明治五年二月
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1872/2
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世情不安、弘前に盗み・押込み多し。
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27
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明治五年五月十四日
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1872/5/14
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漢英両学寮を合併し、弘前漢英学校と改称する。
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28
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明治五年八月三日
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1872/8/3
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藩校廃止。弘前漢・英学校廃校となる。
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29
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明治五年八月
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1872/8
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柾木座で地獄芝居あり。この頃上方の見世物多し。
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30
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明治五年十一月二十七日
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1872/11/27
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東奥義塾設立許可。六年二月、開校式。
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31
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明治五年十二月三十日
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1872/12/30
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東奥義塾外人教師ウォルフ夫妻来任。
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32
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明治五年
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1872
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この年、岩木山の女人禁制が解かれる。
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33
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明治六年一月五日
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1873/1/5
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太陽暦を県内一区一冊宛頒布する。
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34
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明治六年三月八日
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1873/3/8
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県、男子の半髪剃頭をやめ、断髪令を布告。
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35
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明治六年三月
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1873/3
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小学校二四校の設立申請。
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36
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明治六年六月十三日
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1873/6/13
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岩木山神社国幣小社となる。
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37
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明治六年六月
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1873/6
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高照神社に春日神を遷坐し郷社とする。
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38
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明治六年七月九日
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1873/7/9
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県、野蛮の余風としてネプタ禁止を布告する。
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39
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明治六年七月十五日
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1873/7/15
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女流画家兼平亀綾、岩木登山。
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40
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明治六年十月一日
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1873/10/1
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弘前一番小学創設。
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41
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明治六年十一月八日
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1873/11/8
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木刀を帯びるのを禁止。
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42
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明治六年十二月
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1873/12
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下沢保躬、年頭の歌御会で庶民の詠進を請願。
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43
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明治六年
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1873
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この年、県の学齢人口七万八八二四人、就学生徒六三三一人。
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44
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明治七年一月八日
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1874/1/8
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弘前二番小学創設。
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45
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明治七年四月十日
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1874/4/10
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亀甲小学創設。
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46
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明治七年四月
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1874/4
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弘前十五番中学区内に私立小学校、二三校開校す。
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47
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明治七年六月十四日
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1874/6/14
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青森常光寺に中教院設立。
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48
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明治七年七月二十日
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1874/7/20
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岩木山登拝の規則を告示。
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49
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明治七年七月
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1874/7
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弘前新聞、縦覧所を設置。
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50
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明治七年十一月
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1874/11
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本多庸一、東奥義塾塾頭となる。
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