災害年表(近・現代)

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No 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 明治2年 1869 植付より冷気甚しく二百十日を過ぎても出穂まれで、ついに凶作となる。弘前・黒石近在はわずかに種籾を取るも、金木・木造両新田より青森近在・上磯・平内は全く青作で種籾もなし。
災害】: 凶作
2 明治3年 1870 低温・霖雨・霜害あり。詳細不明。
災害】: 不作
3 明治5年三月二十五日 1872/3/25 青森町大火。四七五戸焼失、死者三名。
災害】: 火災
4 明治5年十月六日 1872/10/6 青森町大火。七二九戸焼失。
災害】: 火災
5 明治6年 1873 津軽地方は春以来天候不順、干ばつのため挿秧不能五八〇〇町歩。大干・洪水で凶作となる。
災害】: 凶作
6 明治13年五月十日 1880/5/10 弘前市元寺町柾木座から出火。一五〇〇戸を焼失。
災害】: 火災
7 明治17年 1884 春から夏まで平年より低め。特に六・八月低温。冷害と日照不足。青森県稲作平均反当収量八五キログラム。
災害】: 凶作
8 明治17年九月二十一日 1884/9/21 青森市寺町から出火。一一三戸焼失。
災害】: 火災
9 明治18年十月二十一日 1885/10/21 弘前市大火。和徳町、代官町、茶畑町一帯一〇〇戸焼失。
災害】: 火災
10 明治19年 1886 弘前地方コレラ患者二三七三人、死者一三一八人。
災害】: 疫病
11 明治22年三月十一日 1889/3/11 鯵ヶ沢本町から米町大火。一二〇戸焼失、死者一人。
災害】: 火災
12 明治24年五月二日 1891/5/2 青森市安方町より出火。一〇四戸全焼。
災害】: 火災
13 明治25年 1892 青森県内天然痘患者一五二九人、死亡三八二人。 (注)明治三十三年から県下に種痘法普及。患者・死亡者共に激減。
災害】: 疫病
14 明治29年六月十六日 1896/6/16 三陸沖地震により大津波。推定M八前後。死者二万七一二二人、流失家屋八八九一戸。青森県関係死者三四五人。
災害】: 三陸津波
15 明治30年 1897 害虫リンゴ巣虫大発生し、廃園となったリンゴ園相当数にのぼる。
災害】: 虫害
16 明治30年十一月十一日 1897/11/11 青森市大町から出火。一九四戸焼失。
災害】: 火災
17 明治32年五月十三日 1899/5/13 東郡野内村大火。一〇五戸焼失。
災害】: 火災
18 明治34年 1901 県下リンゴ巣虫大発生。以後廃園続出、明治三十五年まで危機続く。
災害】: 虫害
19 明治34年十月八日 1901/10/8 台風が青森県付近通過。東の風のち北よりの風雨で大荒れ。強風のため、リンゴ風落となるもの多し。リンゴ落果一〇〇〇万箱。
災害】: 風害
20 明治35年一月二十三日~
二十五日
1902/1/23~
1902/1/25
(暴風雪)青森歩兵第五連隊が八甲田山麓にて、吹雪、雪崩のため遭難。一九九人凍死。
災害】: 遭難
21 明治35年 1902 稲作期間の四~八月に低温など天候不順。特に七・八月、低温(平年より三度低め)・日照不足で県平均で半作。県平均反当収量九四キログラム、平均作況指数四九。
災害】: 凶作
22 明治36年七月二十四日 1903/7/24 津軽地方で大雨により洪水。水田冠水三〇〇〇町歩、家屋浸水一〇〇〇戸。
災害】: 洪水
23 明治38年 1905 県下全般、七月下旬から八月にかけて低温・日照不足。このため出穂開花が遅れ登熟不良になった。県平均反当収量一四四キログラム、県平均作況指数七二。
災害】: 凶作
24 明治39年 1906 六月から九月までの低温・日照不足の不順天候で、活着・伸長が悪く登熟障害を起こす。県平均反当収量一二一キログラム、平均作況指数六六。
災害】: 凶作
25 明治42年七月十六日 1909/7/16 中津軽郡千年村地内の山中から発火。一週間にわたり燃え続け、長神沢・樺沢・中止・深山の四つの沢など焼失面積一二〇〇町歩。ほか官林二〇〇町歩を焼失。
災害】: 山林火災
26 明治43年五月三日 1910/5/3 青森市安方町より出火し、西の強風で燃え広がり、住家全焼五二三二戸、倉庫全焼一〇棟、土蔵全焼一五七棟、死者二六人、重軽傷者一四六人。人口四万九二五九人中、被災者三万三九五六人と約七割が被災。延焼時間五時間。
災害】: 火災
27 明治45年四月十一日~
十三日
1912/4/11~
1912/4/13
津軽地方火災多発。木造町一一五戸など。
災害】: 火災
28 大正2年 1913 全県五月中旬から低温となり、九月低温顕著。また七月からの日照不足の影響もかなり大きかった。県平均反当収量四六キログラム、平均作況指数二二。
災害】: 凶作
29 大正3年五月八・九日 1914/5/9 黄砂のため太陽が黄色や赤色にみえた。
災害】: 黄砂
30 大正6年五月十八日~
十九日
1917/5/18~
1917/5/19
弘前市品川・松森・土手・楮町などで五四一戸焼失。また十九日、大鰐町でも一五五戸焼失。
災害】: 火災
31 大正7年九月二十五日 1918/9/25 (リンゴ落果)日本海北上の台風は二十五日北海道西方沖に達する。このため津軽地方のリンゴに落果被害。一〇年以下の若木はほとんど全滅。二〇年以上の大木も六割落果。この他全壊家屋四〇戸、破損二〇〇戸、浸水家屋四七〇戸。
災害】: 暴風雨
32 大正8年 1919 天候不順によりリンゴ不作。五月下旬の降霜。開花期の強風および花腐病や実腐病などで満紅は皆無作に近かった。
災害】: リンゴ不作
33 大正8年十二月二十六日 1919/12/26 野辺町大火。二三一戸焼失。
災害】: 火災
34 大正10年六月六日 1921/6/6 今別町大火。一二一戸焼失。
災害】: 火災
35 大正10年九月二十九日 1921/9/29 (リンゴ落果)台風来襲。雨は少なかったが、強風のためリンゴは二~五割の約一〇万箱が落果。平地より山手被害が大きかった。
災害】: 強風
36 大正14年三月三日 1925/3/3 弘前市内で三日夜から四日朝にかけて降った雪に、米糠が混ったような灰色の雪があった。この日、青森・鯵ヶ沢でもみられた。また、三月十一日朝にも弘前市内でみられた。
災害】: 黄砂
37 大正15年七月十日 1926/7/10 青森市大火。二七〇戸焼失。
災害】: 火災
38 昭和2年五月二十九日 1927/5/29 弘前市北横町から出火。和徳町・萱町・植田町などに燃え広がり、四七四戸を焼失。原因は火の不始末。水利の便が悪く北風により燃え広がった。
災害】: 火災
39 昭和3年四月十八日 1928/4/18 弘前市高田町から出火。強風のため燃え広がり三〇〇戸を焼き、弘前駅近くまで延焼したため、軍隊の破壊消防を実施した。これが功を奏し、六一〇戸を焼失した後鎮火した。死者一名、重軽傷者二六三名。原因は取り灰の不始末。
災害】: 火災
40 昭和3年 1928 七月二十九日から八月二十四日まで、雨の降らない日が二七日間続いた。特に南津軽郡で八五〇町歩に干害。水不足になるにつれ水争いが起こる。石川町農民と大光寺柏木町両村農民が大闘争、十数名の死傷者を出した。
災害】: 干ばつ
41 昭和6年 1931 五月から十月まで平年より低め経過。六月多雨、六・七月日照不足。このため出穂が八月末から九月上旬になり、登熟不良。県平均反当収量一四六亂、県平均作況指数五九。冷夏顕著による冷害。
災害】: 凶作
42 昭和7年一月十七日 1932/1/17 鯵ヶ沢町大火。七四五戸焼失。
災害】: 火災
43 昭和8年 1933 三陸沖地震、M八・三。特に津波被害甚大。津波による死者三〇〇八人、県内の死者三〇人。
災害】: 三陸津波
44 昭和8年十月二十日 1933/10/20 (リンゴ落果)台風は日本海峡を通り東方海上に去る。この台風の影響で津軽地方は強風が吹き、リンゴ落果七万五〇〇〇箱を超えた。
災害】: 強風
45 昭和9年七月~
九月
1934/7~
1934/9
低温・日照不足のため大正二年以来の凶作になる。県平均反当収量一三二キログラム、県平均作況指数四六。
災害】: 凶作
46 昭和10年 1935 五月から低温が続いたが、八月になって異常低温と日照不足が顕著。県平均反当収量一一八キログラム、県平均作況指数四六。
災害】: 凶作
47 昭和11年十月三日~
四日
1936/10/3~
1936/10/4
三陸沖から根室沖に達した台風により、県内は暴風雨被害甚大。死者・行方不明者八人、住家全壊一六一戸、半壊一六八〇戸、流失一〇四戸、リンゴ落果一八四万箱など。
災害】: 暴風雨
48 昭和14年 1939 六~八月高温の暑夏、加えて適雨。九月に入っても台風被害もなく、本県産米の史上最高収量を記録。県平均反当収量三五三キログラム、平均作況指数一一九。
災害】: 豊作
49 昭和15年七月十五日 1940/7/15 (リンゴ落果)台風が日本海から津軽海峡を経て北海道東方沖に去る。これに伴い、風雨のため津軽地方のリンゴ一〇〇万箱落果被害。
災害】: 暴風雨
50 昭和15年十月八日 1940/10/8 青森市古川より出火。二三三戸焼失。
災害】: 火災
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