解題・説明
|
間山甚五郎祐真・金清右衛門が、津軽郡内の中世板碑を調査し、書写・判読して解説を付したもの。間山は歌人として有名で、京都の日野資枝に学び、「古今集」以下の伝授を受けて帰国、寛政11年(1799)に九代藩主津軽寧親の御使者番格紀伝学頭扱となった人物である。享和2年(1802)、藩では各奉行を通じて領内全域に金石文の調査を指示し(「国日記」享和2年6月4日条)、「摺方」として現地に派遣されたのが間山と金の二名であった。「古碑考」の書名は、表紙に「覚〈鐘銘〉」と墨書された横に朱書きで書かれたものである。表紙に書かれた二名の名前部分にも朱書きで「姓名巻末ニ記ヘシ」とあり、本文にも朱書きで推敲の跡がみられる。間山らによる調査報告書はのちに様々に書写されたようで、同じく弘前市立弘前図書館蔵「享和二御改國中古碑並鐘銘」(KK202キヨ)では、「古碑考」の朱書きが訂正、増補されている。(武井紀子)
|