解題・説明
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儒家(じゅか)の基本的古典を「経書(けいしょ)」という。経とは本来織物の縦糸のことであって,布の最も基本となるところから、聖人の教えをそれになぞらえ、その教えを記した書物を経と称している。経書のうち、『易経(えききょう)』『書経(しょきょう)』『詩経(しきょう)』『礼記(らいき)』『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』を儒教における基本的な文献として「五経」と呼ぶ。さらに、朱子学の祖である南宋の朱熹(しゅき)は『礼記』のうち大学篇(だいがくへん)と中庸篇を抜萃してそれぞれ独立した書物とし、『論語』『孟子』とあわせて最も根本的な書物として儒教の初学に推奨し、特に「四書(ししょ)」と呼んだ。 ここにみる『尚書(しょうしょ)』上下2冊は、弘前藩校「稽古館(けいこかん)」が教科書として刊行したものであることから、稽古館本(けいこかんぼん)(別稿参照)と呼ばれるものである。 『尚書』は、本来単に「書」といって、中国最古の古典・史書であり、四書五経(ししょごきょう)の一つに数えられる。その全体は「虞書」「夏書」「商書」「周書」に分かれており、含まれる内容の時期は、中国古代の唐虞三代(とうぐさんだい)から春秋時代(しゅんじゅうじだい)の秦(しん)の穆公(ぼくこう)(在位B.C.659~B.C.621)に至るまでの期間にわたる。唐虞三代の「唐」は帝尭(ていぎょう)(本姓は伊祁(いき)というが、初め陶(とう)、のちに唐(とう)の地に封ぜられたため、陶唐氏(とうとうし)ともいう)の時代、「虞」は帝舜(ていしゅん)(姓を有虞氏(ゆうぐし)と称した)の時代、「三代」は夏(か)・商(しょう)(殷(いん))・周(しゅう)の三王朝の各時代をいう。 記載内容は、中国古代の政治思想ということになる。したがって、具体的には政治の心得や実際などについて記されており、史実のほか神話的伝承も当然含まれている。儒家はその根本的命題を、君主自身が人格を陶冶し特性を発揮する「明徳(めいとく)」と、刑罰を科すことを慎重に行う「慎罰(しんばつ)」にあるとし、天下統治の普遍的法則を示す書物として尊重した。 前漢(ぜんかん)の司馬遷(しばせん)が編んだ『史記』の「孔子世家(こうしせいか)」では、編者は孔子であるとされる。ただ、『春秋左氏伝』や『論語』に「書」からの引用があるため、編纂はそれ以前になされたものと考えられる。恐らくは、夏・殷・周・春秋の王朝に仕えた歴史官たちによって記録されたものが、何らかの形で伝えられ、長期にわたって集められて成立していったものと考えられる。儒教が国教とされた前漢以降、孔子が編纂した尚(たっと)ぶべき書、あるいは古代政治思想を記した尚(たっと)い書物ということで『尚書』とよばれ、またのちには『書経』と称されるようにもなった。儒家においては『詩経』とともに古典として、「詩書(ししょ)」と併称して、教養人必読の書とした。 現在見られる形の『尚書(書経)』は58篇だが、その伝来や真偽については複雑な経緯がある。秦(しん)の始皇帝(しこうてい)は、始皇 34年(B.C. 213)、宰相李斯(りし)の言を容れて、官の記録や民間にあった法家・医薬・農業・占卜(せんぼく)などの書以外の書物を焼き捨て、その翌年には儒家を弾圧した。これが思想統制・言論弾圧政策として現在でも例に挙げられることの多い「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」である。これを逃れるため、秦の博士伏勝(ふくしょう)(伏生)は壁の中に書物を塗り込めた。前漢の文帝(ぶんてい)(在位B.C.180~B.C.157)の時、壁中から『尚書』のうち29篇が取り出され、門人たちに教授された。当時使われていた書体である隷書体(れいしょたい)で書かれていたのでこれを今文尚書(きんぶんしょうしょ)という。 これとは別に、儒家たちの中にも焚書坑儒を免れるために、孔子の旧宅の壁中に本を塗り込めたものがあった。前漢の景帝(けいてい)(在位B.C.157~B.C.141)の時、魯の恭王(きょうおう)が孔子の旧宅の改築をしようとしたところ、壁の中から『論語』『孝経』『礼記』などともに、『尚書』のうち56篇が発見された。こちらは戦国時代に用いられた蝌蚪(かと)文字で書かれていたので古文尚書(こぶんしょうしょ)と呼ばれ、また孔子旧宅の壁の中から出現したため孔壁古文(こうへきこぶん)ともいった。この古文尚書は前漢の武帝(ぶてい)(在位B.C.141~B.C.87)の時、孔子の子孫孔安国(こうあんこく)が読みとき、漢代に用いられた小篆文字(しょうてんもじ)に改めたが、西晋(せいしん)の末に失われた。 ところが4世紀の初め、東晋(とうしん)の元帝(げんてい)の時、梅賾(ばいさく)が孔安国の伝えた古文尚書を見つけたとして58篇を朝廷に奉った。これを偽古文尚書といい、一方本来の古文尚書のことを真古文尚書といって区別している。唐代の初め、孔穎達(くようだつ(くえいだつ))らが太宗の勅命によって五経の注釈書である『五経正義(ごきょうせいぎ)』を著したが、この時に偽古文尚書に基づき『尚書』について注釈がつけられた。現在の『尚書(書経)』は大部分がこの『五経正義』に含まれた『書経正義』20巻にもとづいている。(千葉一大) 【参考文献】 中江丑吉『中国古代政治思想』(岩波書店、1950年) 笠井助治『近世藩校における出版書の研究』(吉川弘文館、1962年) 近藤春雄『中国学芸大事典』(大修館書店、1978年) 加藤常賢『新釈漢文大系 第25巻 書経(上)』(明治書院、1983年) 小野沢精一・宇野誠一『新釈漢文大系 第26巻 書経(下)』(明治書院、1985年) 江連隆『諸子百家の事典』(大修館書店、2000年) 尾崎雄二郎・竺沙雅章・戸川芳郎編纂代表『中国文化史大事典』(大修館書店、2013年)
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