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タイトル 佐々木禎子
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タイトルに関する注記 佐佐木祯子 / 사사키 사다코
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目次(ローマ字)
解題・説明 原爆と広島を象徴し、世界的に知られる人物といえば、その一人は佐々木禎子(ささきさだこ)だろう。禎子は2歳の時に兄・雅弘と楠木町の自宅(爆心地から約1.6キロメートル)で被爆。約10年後に亜急性リンパ性白血病により、1955年10月に12歳でこの世を去った。
幼少期に被爆しながら、禎子は戦後しばらく元気に日常生活を送っていた。中学校の体育教師を夢みる少女であった。しかし、1954年末に体調を崩し、55年2月に原爆傷害調査委員会(ABCC)で検査を受けた結果、「リンパ性白血病」と診断され、広島赤十字病院に入院する。禎子は病床で難病の快癒や家族の幸せを願って千羽鶴を折り、闘病生活の中で死の恐怖と対峙したが、10月25日に息を引き取った。医師によれば、原爆で浴びた放射線が病気の原因とみられた。絶望の中で希望と勇気と愛を示し、原爆の恐怖を改めて示した禎子の人生は、ロベルト・ユンクやエレノア・コアらの著作を通じて世界中に伝えられた。
広島の平和記念公園の「原爆の子の像」は、幟町(のぼりちょう)中学校の級友たちが、彼女や原爆死した児童・生徒の死を悼むために募金を集めて作ったものだ。この像は禎子をモチーフに彫刻家の菊池一雄が制作し、1958年5月5日の「こどもの日」に除幕された。禎子と千羽鶴は、21世紀の現在も世界の人々に平和的な思考を促すアイコンとなり続け、国内外から広島市に届けられた折り鶴の一部が原爆の子の像の下に飾られている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
アーカイブ 広島平和研究所
原本資料の所在地
資料番号 GJ0031
管理記号 GJ03018
カテゴリ区分 ウェブコンテンツ
資料種別 ウェブコンテンツ
資料分類(大分類) 広島を体感する
資料分類(中分類) 8月6日をめぐる
資料分類(小分類)
文化財情報
上位階層目録ID
manifest.jsonへのURL
キーバリューID 参照データID
関連ページURL
関連画像URL 〈2〉原爆の子の像
〈3〉在籍していた幟町中学校西側歩道にある「雪椿の乙女」碑
自治体史掲載
出典・関連資料 広島市立大学広島平和研究所編(2025)『ヒロシマ調査・研究入門ー原爆被害を調べる人のためのガイドブック』
NHK広島「核・平和」プロジェクト(2000)『サダコ─「原爆の子の像」の物語』NHK出版
佐々木雅弘(2013)『禎子の千羽鶴』学研パブリッシング
翻訳の言語
作成者 広島平和研究所
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
権利関係・二次利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 〈2〉広島市立大学広島平和研究所所蔵
〈3〉広島市立大学広島平和研究所所蔵
緯度・経度・高度に関する注記
更新日 2026.3.3
DOI
既刊カタログ目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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