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目録ID mp403700-100040
資料所蔵機関の名称 個人
資料群1
資料群3
資料群5
欧文タイトル
タイトル 旧麗沢舎
タイトル読み キュウ レイタクシャ
タイトル(ローマ字) Kyu Reitaku sha
別名
別名読み
別名(ローマ字)
タイトル備考
作成者等
作成者等読み
作成者等(ローマ字)
書写者等
書写者等読み
大きさ
書写者等(ローマ字)
製作年(和暦) 江戸時代
製作年終(和暦)
員数
形状
大きさ(縦)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(横)
大きさ(高)
材質
形態に関する注記
欠損、保存状況
縮尺
その他の注記
テキストの言語コード 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題読み
主題(ローマ字)
関係する地名 柘植町
関係する地名 読み
内容年終
関係する地名 (ローマ字)
関係する人物名・組織・団体名 石田梅岩/上河淇水/有誠舎/冨山采一/稲垣幸蔵/松尾半次/山本六太夫
関係する人物名・組織・団体名読み
関係する人物名・組織・団体名(ローマ字)
内容年代始(和暦)
内容
内容読み
内容(ローマ字)
解題・説明 心学は享保14年(1729)に京都で石田梅岩が始め、庶民を対象に平易に勤勉・倹約を説いたものである。伊賀国では、寛政年間(1789~1801)に流行し、麗沢舎と有誠舎の2つの講舎が設けられた。麗沢舎では、地元の有力者である冨山采一・稲垣幸蔵・松尾半次・山本六太夫らが都講となり、京都心学の中心的存在であった上河淇水を講師に招くなど精力的に活動した。現在の建物は、医師でもあった冨山の遺宅で、木造平屋建瓦葺、文政12年(1829)の建立とされる。
解題・説明(英語)
管理上の経緯
来歴(英語)
原本の所在 柘植町
カテゴリ区分
資料番号
請求記号
画像メタデータ
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上位階層目録ID
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自治体史掲載 『伊賀市史』第2巻748~752p/『伊賀町史』374~375・1242~1243p
関連目録ID
出版物・関連資料 『伊賀町の民俗』21~22p/『図説 伊賀の歴史』上巻162~163p/『伊賀路』308~309p
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資料種別 史跡
文化財情報 県指定文化財(昭和13年1月21日)
権利関係
翻訳の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
デジタル化の経緯に関する注記
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