敢国神社の獅子舞
【指定区分】 | 県指定 |
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【種別】 | 無形民俗文化財 |
【所在地】 | 一之宮 |
【指定年月日】 | 昭和29年4月1日 |
解説
敢国神社の社伝によると、藤堂高虎が一宮の神幸式の列に獅子神楽を加え、上野城で正月の祝儀として奉奏させるなど、厚く庇護したことが始まりとされる。演目は、広前・四方神楽・五段神楽・剣の舞からなる儀式舞と、芸能的要素の強い鼻高・小竹の舞・荒舞・背つぎ舞があり、その形態は伊賀各地で行われている獅子舞の原型とされる。当初は神事・芸能として神に奉納されていたが、次第に氏子の家々に臨み、攘災招福の神楽になったと思われる。太平洋戦争による休止があったが、昭和25年(1950)に復興し、現在も年3回、社頭で奉納される。関連資料・関連ページ(別画面が開きます)
歴史探訪 敢国神社