上野城跡
【指定区分】 | 国指定 |
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【種別】 | 史跡 |
【所在地】 | 上野丸之内 |
【指定年月日】 | 昭和42年12月27日 |
解説
上野市街地の北に位置する丘陵上に、筒井定次が城郭を構えたことに始まる。当時の天守は、現在の上水道配水池がある丘陵最高所に設けられたが、慶長13年(1608)に伊賀国へ入封した藤堂高虎は、筒井時代の二之丸までを本丸に取り込み、その二之丸であった部分を西側に拡張して高さ約30mの高石垣(写真)を築いた。さらに、その拡張部分に五層の天守の建設を進めたが、完成直前の大風雨で崩壊し、天守は昭和期に入るまで再建されることはなかった。江戸期には、筒井時代の本丸跡に城代屋敷が建てられ、近年継続して実施された発掘調査において、南側に表向きの施設、北側に奥向きの施設を配した屋敷の構造が明らかになっている。