旧麗沢舎

| 【指定区分】 | 県指定 |
|---|---|
| 【種別】 | 史跡 |
| 【所在地】 | 柘植町 |
| 【指定年月日】 | 昭和13年1月21日 |
解説
心学は享保14年(1729)に京都で石田梅岩が始め、庶民を対象に平易に勤勉・倹約を説いたものである。伊賀国では、寛政年間(1789~1801)に流行し、麗沢舎と有誠舎の2つの講舎が設けられた。麗沢舎では、地元の有力者である冨山采一・稲垣幸蔵・松尾半次・山本六太夫らが都講となり、京都心学の中心的存在であった上河淇水を講師に招くなど精力的に活動した。現在の建物は、医師でもあった冨山の遺宅で、木造平屋建瓦葺、文政12年(1829)の建立とされる。