服部土芳墓所
【指定区分】 | 市指定 |
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【種別】 | 史跡 |
【所在地】 | 長田 |
【指定年月日】 | 昭和38年4月1日 |
解説
服部土芳は芭蕉の俳諧に傾倒し、藤堂藩士を辞めて貞享5年(1688)に蓑虫庵(県指定文化財)を開いた。享保15年(1730)に74歳で亡くなるまで、伊賀蕉門の中心として生涯を蕉風俳諧の普及に尽力し、今日の芭蕉研究の基礎を作ったことが評価されている。土芳の墓所は長らく所在不明とされていたが、昭和35年(1960)に郷土史家の山本茂貴によって自然石に「些中庵浄山土芳」と彫った墓石が発見された。関連資料・関連ページ(別画面が開きます)
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