上野天神宮(菅原神社)

上野天神宮(菅原神社)
テーマ芭蕉と俳諧の世界
見どころ・解説 上野城下町の惣社です。もとは現在の上野城跡内にあったとされる平楽寺の鎮守神でしたが、天正伊賀の乱の兵火に焼かれて社地が移され、さらに藤堂高虎の上野城改修にあたって、その社地が二之丸内へと組み込まれたため、現在の外堀南東隅へと移転しました。正徳5年(1715)の城下町絵図には、「天神」の記載とともに鳥居や社殿が描かれ、隣接する「隅ノ坊」「威徳院」「薬師寺」の3つの宮坊が確認できます。
 当社は菅原道真を主祭神としていることから、学問・文芸の神としても信仰を集め、 芭蕉も自身の文運を祈る意味をこめ、菅公七百七十年忌にあたる寛文12年(1672)に自身がはじめて手がけた撰集『貝おほひ』を奉納しています。『貝おほひ』は、伊賀上野の諸俳人と芭蕉の発句六十を左右に番えた三十番の発句合で、芭蕉が判詞を書いています。当時流行の談林俳諧の影響を受けて、全編に小唄や流行語、奴詞を駆使した、遊戯性が濃厚なことが特徴的な作品です。
 神社の楼門は、上層の大梁の墨書や『永保記事略』から元禄14年(1701)に着工されたことがわかります。三間一戸、入母屋造の本瓦葺、円柱で下層は三手先の腰組で高欄付きの縁をめぐらし、上層は三手先組物で二軒繁垂木の軒となっています。鐘楼は寛永4年(1627)の創建で、貞享5年(1688)に梵鐘を鋳直した際に建て替えられたとされます。桁行・梁間一間の4本柱式で、切妻造の本瓦葺、細部の装飾が近世の様相を良く示しています。
所在地
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上野天神宮(菅原神社) 所在地
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菅原神社楼門・鐘楼