テーマ | 伊賀の寺社建築 |
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見どころ・解説 | 大村神社は伊賀市の南部、阿保地区を北西に望む丘陵に位置します。祭神は、大村の神と武甕槌神、経津主神、天児屋根命であり、武甕槌神と経津主神が常陸国から大和国に遷幸した際、当地に立ち寄り「要石」を奉鎮せられたと伝えられ、地震除けの神として篤く信仰されています。 宝殿は、かつて本殿であったものを明治23年(1890)に現在の本殿を新築する際に、西方へ移したもので、一間社入母屋造の妻入り、屋根は檜皮葺きの社殿で、向拝と浜縁が付き、四方に縁が巡ります。身舎の柱間は桁行6尺3寸、梁間8尺です。正面は板唐戸で両側面と背面は横板壁です。また、屋根は二重軒付の檜皮葺きで垂木は二軒繁垂木です。柱上の組物は、斗と肘木を重ねた出三斗、頭貫の端部は絵様木鼻で、中ほどに蟇股があります。蟇股の透彫は正面が牡丹に獅子、西側面が鹿に紅葉、東側面が梅に鶯となっています。また、向拝は虹梁の端部が象鼻、蟇股は波・雲・龍の彫刻となっています。彩色は、柱や四方の縁、軒裏の垂木などは朱塗、壁面は白色、頭貫、長押、斗組、蟇股が極彩色で施されています。 宝殿の建築年代は、神社に伝わる棟札と建築様式などから、天正伊賀の乱後の天正15年(1587)に再建され、元和7年(1621)に大規模修理が行われたと考えられています。その後修理を加えながら現代まで伝えられています。 |
所在地 (クリックすると地図表示) | 青山エリア 大村神社 |
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大村神社宝殿附棟札3枚